朝日連峰登山道整備               2006年7月28〜31日

 
 私にとって今年で3年連続となる朝日連峰の登山道整備に参加した。7月27日夜、山さんの車に同乗し、山形県小国町に向かう。途中仮眠をとり、小国町五味沢地区の民宿「ふもと」に集結した。梅雨明け間近の不安定な天候で、昨夜の日立を発ったときから雨が降ったり止んだりしている。今年は高田シェフが急遽来られなくなり、宇都宮の善さん一家の奥さんと娘さん、京都からの木原さんたちも来ないようだ。でも2年ぶりで米沢のまるちゃんが来るらしく、再会が楽しみである。

 朝から雨模様で、初日は荷物を運ぶだけとなった。共同装備を分け合い、角楢小屋に向かう。大石橋の架かる荒川はまださほど増水していない。私は草刈り機とガソリンなどを明日のために、祝瓶近くにデポすることになった。祝瓶山方面と角楢小屋の分岐で山さんから、この山域では過去に何回も熊を目撃しているとの話を聞き、少し不安になる。

 ここで他の参加者と別れ、一人祝瓶山への道を歩く。雨が激しくなる。尾根道は急登が続き、汗と雨で内も外もずぶ濡れとなり雨具の上着を脱ぎ、Tシャッ一枚となる。それにしてもこの雨は応える。昨夜の睡眠不足も重なり、足取りが重くなる。4年前に一度登っているが、その時の記憶はなく、どのあたりを歩いているのか見当がつかない。結局大岩の手前で荷を置きブルーシートで包み、道を戻る。鈴出の吊り橋下は濁流となっていた。ここからしばらく歩き、渡渉地点となる。いつもならほとんど濡れることなく渡れる清流も、今は茶色の濁流となって渡ることは出来ない。周囲を見回すが渡れそうなところはない。戻ろう。その前に角楢小屋と無線連絡をと考え、無線機を取り出したがすぐに無線機に雨水が入り、使用不能となった。私が行かないと心配するだろう。しかし、危険を冒して濁流は渡れない。ここにいても暗くなるばかり。ビバークも考えたが、テントもなくこの雨の中どうして一晩過ごすことができるだろうか。樹林帯の中は薄暗くなっている。とにかく戻るしかないと考え、来た道を戻る。
しばらく歩くと向こうから人が来た。こんな時間に誰だろうと近づくと、山さんだった。彼は角楢小屋への2回目のぼっかの途中だった。山さんは祝瓶分岐で私が小屋に向かったのを足跡から確認していた。とにかく山さんに従って、再び渡渉地点に向かう。ここで山さんは少し上流の川幅が多少広くなった場所を探し、太い枝を杖にして渡渉し始め、慎重に足を運び渡りきった。私も太い枝を手に濁流に入るが流れが速く、もし足を滑らし濁流に呑まれたらと考えると渡ることは出来なかった。極相林に達しているこの森の中にはあちこちに倒木が見られ、これを探そうと増水した山裾を歩く。太いブナの倒木が川に架かっており、この上を渡ることができた。藪の中では目の前すぐ手の届きそうなところをウサギ、そのすぐ後をテンが走り去った。
小屋手前の最後の角楢吊り橋を渡る。ここを渡ればもう角楢小屋はすぐ。足下は濁流となった川で、中からは流木や石のぶつかり合う音が雷鳴の如く不気味に鳴り響く。山さんの話では、石がぶつかり合い、火花が水中から見えることがあるそうだ。小屋前ではブルーシートのタープの下、食事中のようだった。疲れた。ザックをおろす。誰かがすぐにビールを差し出してくれる。山さんとまずビール。旨い。内野さんの奥さんがキノコ汁を作ってくれた。これも旨い。

 2日目、今日は祝瓶から大玉山への縦走路の草刈りだ。雨の心配はなさそうだが雲が多く、大玉山や大朝日岳方面の山々はガスで見ることが出来ない。まず山さんが分岐から大玉山方面へ刈り進む。途中蛋白源のマムシを見つけたが見失ってしまう。山さんが草刈り中、私は早めの昼食を摂る。飯ごう飯に塩ジャケと梅干しを乗せ、沢でくんだ水をかけて流し込むが、これが旨い。空腹を満たし、汗をかいた後の塩分を補給してくれる。食事後山さんと交替し、大玉山から逆に刈り戻ることにした。時も過ぎ、今日の作業はこれまでとし刈払機をデポ、祝瓶の分岐にでる。これまでに何度か角楢小屋との無線通信を試みたがつながらない。私の無線機は前日の雨で使用不能となったが、山さんの無線機も具合が悪いようだ。尾根道を歩き始めると時間は7時を少し過ぎていた。私は今回予備も含めてヘッドランプを2個持参したが、不覚にも今日はザックに詰めていなかった。遅くなることはないと安易に考えていたこともあるだろうが、山歩きをする人間にとって恥ずかしいことである。うっすらと暗くなりかけた朝日の峰々は美しかったが、すぐに暗闇となる。山さんのヘッドランプ1つで下りる。急な下りは山さんが先に下り、私の足下を照らしてもらう。吊り橋では先に進んで、振り返り足下を照らしてもらう。昼間と違い神経を使う歩きである。

森の中のホタルを初めてみた。このホタルはクロマドボタルと言い、ゲンジボタルなどと違い、幼虫期を陸で過ごし、カタツムリをエサとし、幼虫期だけ発光するという。

10時30分近く小屋にたどり着いた。ブルーシートの下では、みんな寝ないで待ってくれた。やはりたいへん心配をかけた。つくづく無線機の必要性を痛感することになった。

 3日目、6時に起きる。すでに善さん、通野さん、梅沢さんが起きていた。山さんは疲れたのだろう、眠っている。今日の作業は大玉山への縦走路の残りを刈り、祝瓶の尾根を刈りながら帰る。早い時間に戻れるだろうと考え、水と雨具だけをザックに詰め一人で出発する。途中、小屋に向かう内野夫妻に出会う。昨夜は「ふもと」に宿泊、早起きし角楢小屋に向かっているとのこと。分岐から3日連続の祝瓶山の尾根歩きである。今日は地元の中学生の集団登山と言うことで、先生や親たちも一緒に祝瓶山に登っている。元気な中学生についていけず、親たちは遅れがちで、何組かを追い越した。しかしこの頃になると徐々に力が入らなくなる。シャリバテのようだ。思えば昨夜はビールや焼酎とわずかなつまみだけで、今朝は何も食べていない。やがて大きな岩のある展望のよい場所にでると、中学生の親たちが休んでいた。その一人からキャラメルを分けてもらう。こういう場合は糖質が吸収が早くエネルギーに変わる。キャラメル5粒を一気に口に放り込んだ。昨日草刈り機をデポした場所から刈り戻る。暑い。山頂には十数人の登山客が見える。分岐に戻りぐったりしていると祝瓶山からの戻りの中年の夫婦に出会い、たくさん分けてもらう。もういいですと断ってもパン、おにぎり、お茶、ジュース、フルーツゼリー、など次々に分けてくれる。私たちがこうして快適に登山ができるのは皆さんのおかげです、などといわれ恐縮してしまう。
ここで十分な食事と水を飲み休んでいると、山さんが食料を担いで来てくれた。二人でビールを呑む。ここに、まるちゃんと善さん、園部さん達が登ってきた。まるちゃんとは2年ぶりの再会。「おしょうしなす」の挨拶?。まるちゃんは自身のホームページの「ぐひぐひまる姉ちゃん」のキャラクターそのものの、楽しい人である。このあと彼らは目の前の祝瓶山に登って行った。善さんは近くの雪渓から雪をとり、ビールを冷やし山頂で呑む、と楽しそうである。ここから下りは山さんにお任せし、尾根を下り、角楢小屋に向かう。小屋は全員
が引き上げ、私の荷物だけが残されていた。ちょうど初男さんも大朝日岳コースの草刈りを終え戻ってきた。二人で「ふもと」に戻り、温泉施設「リフレ」で汗を流す。その後はおきまりの反省会と称する宴に突入。米沢に帰るというまるちゃんを、あの手この手で引き留める。初男さんからは生ビール、善さんは今年も花薫光(かくんこう)を振る舞う。茨城の酒で一升16000円の値段の酒で、えも言えぬ香りと深い味わいが幸せな気分にさせてくれる。テーブルには山菜が並び、冬場の熊狩りで捕ったという熊の背油肉を初めて戴く。

翌朝の「ふもと」からは飯豊連峰がよく見えた。今年はあちこちに雪渓が残っている。

家に戻り今回のルートをエアリアマップで調べてみると角楢小屋から祝瓶、大玉山までは往復13時間近い行程となる。往復でこれだけの時間を要する上に、草刈りをするというハードな作業だった。それでも山さんを始め、今年も山や川の達人とあの朝日の山中で過ごせたことは良い思い出として残るだろう。

写真説明:大朝日岳方面から中央に大玉山、その右手奥に祝瓶山、その奥に飯豊連峰が連なる。この縦走路の草刈りを行った。
この写真は2年前の草刈り時のもので、米沢在住のまるちゃんから提供されたもの。(今回は悪天続きで、終始このような展望は得られなかった)
農家民宿「ふもと」前で集合写真