弟55回富士登山競争

 

   7月28日富士登山競争に初出場した。このレースは今年で55回という古い歴史を有し、山梨県と富士吉田市が主催、富士吉田市役所をスタートし、富士山頂をゴールとしている。
距離は21Kmとハーフマラソン並だが、スタートからゴールまでの標高差3000m、その間の気温差21℃、そして5合目以降は森林限界を超えた砂礫の上でのレースという厳しい条件で、かつこれを4時間30分以内という制限時間が設けられている。毎回の完走率は40%台で、参加者の半分以上が山頂を踏むことができないという厳しい競技であり、優勝者には内閣総理大臣杯が授与される。

 レース当日は朝7時受付のため、前日の金曜日少し早めに仕事を終え、大月から富士吉田行きの最終列車に乗り、駅から市役所まで歩き、夜遅く富士吉田市役所構内の植え込みの中で寝た。まわりには私と同じように市役所内で一夜を明かす人が結構おり、テントを持ち込んでいる人もいた。翌日のレースに備え熟睡できるよう寝酒をあわただしく飲み干し、すぐに寝込んだ。

 朝5時過ぎ、ざわざわした雰囲気の中で目が覚めた。参加者が集まってきているようだ。
ゆっくりとシュラフから起き出し、近くの水道で顔を洗う。人が続々と集まってきており、大会関係者が準備に走り回っている。

 7時、市役所の中庭で開会式が行われ、前回優勝者のトロフィの返還、来賓の挨拶、選手宣誓、審判長挨拶などがあわただしく執り行われ、すぐにスタートとなる。選手紹介の中で元男子マラソンのオリンピック選手川嶋選手と女子マラソンの浅井えり子選手が紹介された。広報用の拡声器からは登山競争がスタートする旨のアナウンスを町中に流している。今回の参加者は参加者名簿を見ると北海道から沖縄までの全都道府県から男性2375人、女性164人でこの中には36人の外国人が含まれている。7時30分スタート、花火が鳴る。
 
  スタート後少しの間は市街地の走りで、早朝ながらも沿道には声援を送る人たちが出ている。スタートからゆっくりとした登り。4Km先の富士浅間神社にかかる。浅間神社の参道であろうか、両側に杉並木の快適な走り。暑くて汗が噴き出してくる。中ノ茶屋で最初の給水があり、ここで十分な給水を取った。道は登山道らしくなり、傾斜を増してくる
ふつうどんな山登りでもアップダウンがあるが、ここ富士吉田からの富士山は全てが登りである。そしてスタートから11Kmでほぼ中間地点の馬返しまで標高差670m、徐々に傾斜がきつくなってくる。この辺でもう走るのを止めてしまい、早歩きとなる。馬返しとはここから先は馬も登れない急登となる旨の案内板が建てられていた。馬返し付近で2度目の給水、道は吉田口登山道一合目となり、やがて早歩きで五合目に至る。

  ここまで走りながら花はホタルブクロ、シャクナゲ、クルマユリ、イタドリなどが見られた。五合目の佐藤小屋前に給水所が設けられており、参加者や競技関係者それに登山客や参加者の応援者などでごった返していた。給水所にはバナナ、干しぶどう、梅干し、レモンや塩が並べられていた。私はテーブルに並べられていたそれらのものを少しずつとり、多めに塩を摂取した。その後水をもらおうとしたら、
水がないのである。係りの人に聞くと、もう準備した水はなくなったとのこと。これまでの給水で十分な水を取っているので、さほどのどの渇きはないが、この先はもう完全に登山の領域にはいる。ここで水が得られないと、この先はこれ以上に水がないかもしれない。そうこうしているうちにここでレース中止という声が聞こえた。

 ここには関門がありここでの制限時間はスタートから2時間30分後の午前10時となっていた。この給水所でゆっくりしすぎたため制限時間を超えてしまった。この先八合目にも関門があり、ここでの制限時間は午前11時40分となっている。レースを中止した参加者はここから河口湖五合目駐車場まで歩き、待機しているバスに順次乗り込み、スタート地点に戻る。バスの最終出発時間は午後2時。ちょうどいい、ここで止めようと考えた。しかし係員の制止を振り切って上へ登る人もいる。このままバスに乗り早く家へ戻りたい気持ちと、不完全燃焼の気持ちが入り交じるのである。この結果登ろうという気持ちが勝り、先に進むことにした。もう山頂に行くことはできないだろうが、行けるところまで行こう。短い時間ではあるが、休憩したため少しの間快適に歩くことができた。しかし六合目、七合目と高度を上げるにつれ足が重くなってくる。それでもこれまで他の参加者を結構抜き去ってきた。一般的な五合目からの登山ならともかく高度差3000m近くをもう登り続けている足にはかなりこたえる。見上げると八合目は直線距離ではいくらもないが、登山道は葛折りになっており、かなり長く感じる。その登山道の山側には砂防ダムならぬ礫防ダムとでもいおうか、砂礫の流出を止めるフェンスが張り巡らされている。

 それにしても富士山は写真で見ると広い裾野をもち、山頂部に雪を冠した秀麗な富士や、前景に桜を配置したもの、あるいはすべてを冠雪した富士など、世界中の人たちがその写真を見て美しいと感じるとうり、遠くから見ると美しい山も歩いてみると裾野はともかく、ほとんどの登山客の登山口となる五合目からは決して美しい山とは考えにくい。よく言われる富士山の山肌に白いティッシュの帯ができるというのは確認できなかったが、
何カ所かで糞尿の臭いが感じられた。あたりを遮るものもないこういう場所でのこの臭いはやはり異常なものであろう。やがて七合目に着いた。ここにも給水所があるはずだ。給水用のポリタンクを並べた前に係員がいたので聞いてみると、とうに水はなくなっているという。まだ山頂での制限時間12時にはなっていない。このまま先に進みたいが水がない。他の参加者は小屋で水を買っている。私は給水は得られるものと考えていたので水を買う小銭を用意していなかった。これでもう戻ろう。こういう私を見て一人の参加者が300円を出して、使ってくださいと言う。最初は礼を言い断ったが、再度進められるまま受け取り小屋で水を求めた。ありがたかった。

 八合目はもうすぐ先に見えているのになかなか到達しないが、止まることなく歩き続け、やがて八合目に着いた。小屋の前で立ち止まっていると、頭の方から声が聞こえた。山頂のゴール地点では、レースの制限時間が迫り、カウントダウンが始まったようだ。五合目からの登りでレースをあきらめていたので時間を気にしていなかったが、がんばれば時間内ゴールも可能だったかもしれない。そこから下山専用道を降りて河口湖登山道を五合目に戻った。
 途中たくさんの団体客に会った。これから登り始め、途中の山小屋で一夜を明かし、明朝ご来光というおきまりのコースなのだろう。五合目駐車場にはたくさんの観光バスが止まっていた。今日はウィークデーの金曜日、
明日の土曜日はどれほど登山者が訪れるのであろう。改めて自分の目で確認した富士山ハイシーズンの日でもある。このあと五合目から選手送迎バスに乗り、富士スバルラインを通り、富士吉田市役所に戻った。

 この富士登山競争には富士吉田市役所から五合目まで距離15Km(標高差1480m)と、市役所から富士山頂まで距離21Km(標高差3000m)の2種目がある。山頂コースは年齢制限が設けられており、数年前に年齢制限から出場をあきらめていたが、今年から60歳までとなった。
 来年出場するか今はわからないが、次回は山頂ゴールを目指したいと思う。今大会に向けての走り込みはほとんどなかった。次回は制限時間を意識し、水不足とならぬよう小銭を用意し、それなりの対策を考えて挑もうと考えている。富士での完全燃焼を目指して。