第6回日本山岳耐久レース

   10月10日と11日の2日間にわたり行われた第6回日本山岳耐久レースに出場した。 このレースは東京都山岳連盟が主催、文部省、あきる野市、日本山岳会、そして我々が所属する日本勤労者山岳会などが後援し、奥多摩のほぼ全山、総距離71.5Km、標高差1357mを制限時間24時間内に走り(歩き)通すという耐久レースである。

 レースは長い距離と行動時間の多くが標高1000〜1500mの暗闇の山中という条件のため、各自水2リットル以上、雨具、防寒具、ヘッドランプ(予備の電池、電球付)、それに行動食の携帯が義務付けられている。私は水3・5リッター(エネルゲン水2.5リットル、真水1リットル)、防寒具を兼ねたゴアテックスの雨具、ロングタイツ、Tシャツ、ヘッドランプ、それに食料(おにぎり6個、カロリーメイト3箱、蜂蜜入りとビタミンC入りのあめ)、総重量6.5Kgのリュックを背負ってレースにのぞんだ。
10月10日体育の日、集合場所であるあきる野市市役所で受付と装備品のチェックを済ませ、その後開会式は市役所に隣接する中学校の校庭で行われた。スタート順は各自の申告制で、10時間以内で走れる者から20時間以上まで10,12,16,20の4組に分けられ、私は20時間組に並んだ。

 東京都山岳連盟の女性会長の挨拶、あきる野市市長の挨拶、審判部部長の注意などに続き、本大会を視察に訪れていた韓国ソウル山岳連盟会長がスタータとなり、午後1時ちょうど号砲一発レースがスタートした。スタートと同時に先頭集団が走り出した。事前に取り寄せた前回第5回のレースの報告書には参加選手は山やさんと走りやさんが半々ぐらい、と書いてあったが、私と同じ20時間組の後列にいた数人が、先頭集団の走りを見て”うわ−。走ってる”と驚いていた。私と同じ初出場組でニツカポッカに軽登山靴姿のいかにも山や風の彼らには71.5Kという長い奥多摩の山中を走るという事は考えられなかったのだろう。私も走り出した。ほどなく市街地を抜け、秋川を渡る橋にさしかかった。河原の方を見ると休日のため水遊びをしている人が多く、中には泳いでいる子供達も見える。今日は暑い。川を渡るとすぐに上り坂となり、今熊山山頂にある今熊神社に通じる長い石段の急登となる。この長い石段を登りきると今熊神社で標高506m、スタートからの距離4・2Kmである。ここからアップダウンを繰り返し、入山峠を通過し、市道山(標高775m)、醍醐丸(867m)、連行山(1010m)、茅丸(1019m)、生藤山(990m)から三国峠、熊倉山(966m)そして第1関門の浅間峠(860m)へと至る。

 このレースではゴールまでに3ケ所の関門があり、それぞれに制限時間がある。この制限時間内に通過できないとそこで失格となり、下山させられてしまう。第1関門はスタート地点から22.7Kmにある浅間峠(制限時間9時間)、第2関門はスタート地点から42.1Kmの月夜見山(制限時間スタート後15時間)、第3関門はスタート地点から58Kmの御岳山(制限時間スタート後21時間)、そしてゴール(制限時間24時間)である。第1関門の制限時間は9時間であるが、ここを9時間近くで通過したのでは後々第2、第3関門の通過は難しくなる。というのはスタート〜第1関門(9時間)、第1〜第2関門(6時間)、第2〜第3関門(6時間)、第3関門〜ゴール(3時間)で第1関門までの制限時間を長く設定してある。これは第1関門までは出場者全員が到達してほしいと願う主催者側の思惑があると思わる。事実、昨年の報告書では参加者全員が第1関門には達している。(もっとも数人が制限時間を超過していたが)。このため第1関門を9時間内に通過すればよいと考えてはゴールは難しく、第2関門まで15時間と考えて行動するようにした。後ろの方からスタートした私はこれまでかなりの人を追い越した。

 スタート後4時間20分で第一関門の浅間峠に到着し、ここで初めての休憩をとる。関門チェックの係員に聞くと順位は300番くらい。自分でも驚くほど順位が上がった。しかし苦しい。足にも相当疲労感があり、これから先に不安を感じる。これまでに何度目かの水をこのレースで初めて地面に腰を下ろし飲む。今日は暑いせいか発汗も多く、水の補給も当然多くなる。Tシャッも汗でぐしゃぐしゃ。周囲は薄暗くなって気温も下がってきた。滞れたTシャッを身につけているため体感温度も実際の温度より低く感じる。Tシャッを着替えてもすぐ汗まみれになり、荷物も重くなるためシャッはそのまま。 ここで約5分位休憩したが、この休憩の間にもこの第1関門に20人位の人が入ってきた。皆苦しそうだが最初の関門に来たという安堵感のようなものを感じられる。このうち数人がここでリタイアすると告げた。係員の話ではこの後順位が下がるに連れリタイアする人が増えるとのこと。中にはこれまでに水をすべて飲みきってしまい、リタイアせざるを得ない人もいた。関門に着くなり係員の人に水はないかと尋ねたところ、ここでリタイアするのであれば水はあげられるが、このままレースを続けるのであれば規則で水はあげられないとのことであった。山では気象条件、行動時間などを十分考慮して、対応しなければいけないということであろう。私は最小限義務づけられている水2リットルを上回る3.5リットルの水を用意したのでこれまでのところ、たくさんの水があるがそれでもこれからの行程を考えればがぶ飲みはできない。それにしてもだいぶ疲れた。相当きつい。私もここで足でもつってくれたら理由付けができ、堂々とリタイアし、これからの苦しみから解放されるのにと考えた。そんなことを考えながら休んでいる間も次々と人が来て、休憩していた人も出発していく。出発しよう。ここで防寒のためロングタイツをはきヘッドランプを装着する。すぐに林の中の急登となる。ヘッドランプを点灯した。

 登りは早歩き、平地と下りは走るというスタイルで行動したが、アップダウンの連続で、平地と下りは走るためすぐに登りにさしかかる。このため登りばかりという感覚になり、苦しさが増してくるが平地にかかるとホッとするし、走りながらも疲れがとれていく感じがする。
 この日のために買い換えたヘッドランプがすこぶる調子いい。小型で軽く、頭の周囲と上からの2ケ所で支持しているため、走ったり、下りなどの衝撃でもずり落ちない。走って前方を照らす場合や、急降で足下を照らす場合など、光の位置を手で簡単に変えられる。小さなリチウム電池1個で連続8時間使用可というのも安心できる。 それにしても喉がすぐ渇く。エネルゲン入りの水は甘く生ぬるいため飲んでも水を飲んだという感覚が薄く、すぐ水が欲しくなる。冷たい真水が飲みたい。発汗も多い。汗止めのためバンダナを巻き、手にも汗拭きのためバンダナを持って行動したが、汗のためぐしょぐしょ。スタートしてだいぶ時間が経過して汗の成分が分解し、すごく汗くさい。

 道は長い急登となった。ヘッドランプではせいぜい20〜30メートル先ぐらいまでしか道の確認ができないため、長い急登でも先の地形はわからず、一歩一歩進むだけだが、これが昼間さんざん歩いた後長い急登が前方に見えるとうんざりしてしまうだろう。時折岩場が現れ鎖場もあったがこれを登りきると、このレースほぼ中間点の三頭山山頂である。都山岳連盟の係りの人数人が拍手で迎えてくれた。

 第1関門の浅間峠からここまで土俵岳(標高1005m)、丸山(1098m)、笹ヶタワ峰(1157m)、槇寄山(1188m)、大沢山(1482m〉、そしてここ三頭山(1527m)と通過してきた。この次はここから5.8Km先にあり第2関門である月夜見山(1147m)となる。
 三頭山山頂で小休止した。辺りには暗闇の中10人ぐらいが休んでいた。寝ている人や食事をしている人、ストレッチをしている人などさまざまだが、皆相当疲れているのだろう誰一人無言である。後続の1人が登ってきたが、山頂に着くなりうずくまって嘔吐し始めた。疲労で体調を崩したのだろう。係りの人に背中をさすってもらっていた。
 私もここでおにぎりを食べた。さほど空腹感はないが食べないと体がもたない。水でおにぎり2個を流し込んだ。水がうまい。つくづく水はありがたいなと思う。第2関門に着けば1.5リッターの水の補給がある。残りの水の畳は0.8リッターぐらいあり、ここで水をがぶ飲みした。辺りを見回すとテントが数張りあった。時間は午後9時頃。もうテントの中の人たちも休んでいるだろう。ここで5分ぐらい休憩、軽いストレッチ後三頭山山頂を後にした。ここから1.7K先の鞘口峠(1140m)まで急降が続きそれからアップダウンの連続だ。

 スタート後これまでピークや峠には都山岳連盟の係員の人が我々を拍手と「がんばってください」という暖かい言葉で迎えてくれた。これらの人たちは女性が多く、テントで仮眠をとりながら、交代で応援と事故対策のため夜通し待機しているのだ。暗闇の中、前後に人の姿が見えないとき、ピークや峠などの区切りの場所でテントの明かりと人の声を聞くと、一瞬疲れが吹き飛ぶような気がしてくる。
 コース上には矢印の付いた案内板と赤色点滅灯が設置され、迷いやすい分岐や危険個所にはビニールテープで誘導されているが、それでも昼間と違いヘッドランプでは広い視界が得られず、前方だけの直線的な視界となる。走って行動中は視界の変化が早く、案内板を見落とすことがある。真っ暗い中、前後に人はいない。走ってしばらく案内板や点滅灯が現れていないのに気付く。道を間違えたのだろうか、不安になって来た道を引き返した。少し戻ると前方にヘッドランプの明かり。来た人に道の確認をしたが彼も私と同じく不安を感じながら進んできたという。とにかく道なりに来たのだから大丈夫だろうという事になり、私も戻ってきた道を再び進み始めたが、しばらくするとテープが見えほっとした。10月10日午後10時20分、やっと月夜野山下の周遊道路駐車場に設けられた第2関門に着いた。係員がたくさん待機し、簡易トイレも設置されている。ここで各自1.5リットルの水が補給できる。エネルゲン水と真水があり、私は真水を水筒に入れてもらった。

 ここでスタートから42・1Km地点でちょうどフルマラソンの距離と同じだ。時間は9時間20分経過している。係員に順位を聞いたら130番ぐらいと言われびっくりした。だいぶ早い。ここまで来たら後残り30Km。すごい疲労感があるが何とか完走できる見通しができ、その上順位も上げたい、時間も早くしたい、あわよくば年代別の入賞もと欲が出てくる。眠気も感じ始めているのでこのまま横になり、長めの休憩をとりたいところだが5分位休み再び行動開始。

 平地を走りながらふと前方を見ると人が倒れている。一瞬驚いたが、走りながら観察してみるとTシャツ姿でリュックを背負っている。行動中眠気に耐えきれなく、その場で眠り込んだようだ。その後も登山路の脇で眠り込んでいる人を20人以上は確認している。防寒服を着込んで寝ている人はよいが、中にはリュックを背負いヘッドランプを点灯したまま、行動中に眠り込んだであろう人も多い。また疲れて座り込んでいた人が突然前のめりにガクッとなり、そのまま眠り込んだ人も見た。だいぶ冷え込んできた。低体温症や疲労凍死などという言葉がチラッと浮かんだ。私も眠い。走りながらも眠くなるという経験を初めて体感した。目をつぶるとふ−つと引きずり込まれて、そのまま倒れ込みそうな感覚を覚える。

 下りになると膝に痛みを感じるようになり、急降は足に衝撃を与えないよう、手足を使いゆっくりと降りるようになった。それでも平地ではゆっくりながら走り続けた。足に疲労が蓄積され制動が利かなくなり、滑りやすくなった。木の根や石の上などに登ると必ず滑る。闇の中、走ったり早歩きの状態では、地面をじっくり観察し足を進めることはできない。
 真っ暗い中コースから外れた所から人の声が聞こえる。道に迷ったらしい。私も声を出し正規のコースに誘導した。

 日付が10日から11日に変わり午前3時15分、スタート後14時間15分、第3関門のある御岳山に着く。第2関門からこれまで惣岳山(標高1340m)、御前山(1405m)、鞘口山(1142m)、鋸山(1109m)、大岳山(1266m)、そしてここ御岳山(929m)である。距離はスタート地点から58Km。途中通過した大岳山は展望がよく、月明かりの中周囲の山々、そして遠くに町の灯りが見え、家のぬくもりが恋しくなった。でも深夜のこの時間ほとんどの人が寝込んでいるだろう。

 第3関門からゴールまでもう後13Kmちょっとで、これから通過する山は日の出山(標高902m)、麻生山(794m)、金比羅山(468m)で、ここ御岳山(929m)からゴール(170m)までコースのほとんどが下りとなる。しかしもう走ることはできない。歩く速度も大分遅くなり、特に下りでは膝が痛く、速度もガクッと落ちる。かなりの人に追い抜かれたが、彼らはほとんどダブルストックを使用していた。やはりこういう長丁場になるとストック使用は大きな効果があるのか。
 昨日の夕方6時過ぎにヘッドランプを点灯し、9時間以上が経過した。1時間くらい前から薄暗く感じ始めたが、もう限界だ。ここで予備の電池と交換した。

 日の出山に着くと山頂では何人かが眠り込んでいた。昨日朝7時に起床してから20時間以上経て、私も眠いが後もう少し。一歩でも先へ進もう。
 明け方4時30分頃だろうか、尾根沿いに下山しながら、時折木々の聞から遠くに町並みが見え隠れするようになった。東の空がうっすらと白み始める。この間にも何人かの人に追い抜かれたがもう追い返す力もない。予想より大分早くゴールできそうであり、それだけで十分で、多少の順位の変動などもう気にすることはなかった。
 ゴールまであと5Kmの案内板が見えた。うれしかった。あ〜、とうとうやったなと思わず右手に力が入り、ガッツポーズのようなしぐさをした。空はだいぶ明るくなってきた。相変わらず早歩きではあるが、ヘッドランプを消し、今までにはなかったゆったりとした気分で、最後の尾根を下った。やがて市街が間近に見えると最後は走ってゴールしたいという気分にかられ、ゆっくりと走り出した。まもなく市街地に入った。道の角々には都山岳連盟の係りの人が立ち、拍手して迎え、進路を指示してくれた。早朝散歩している町の人も温かい言葉で迎えてくれた。
10月11日午前5時58分41秒、10日のスタートから16時間と58分41秒、213番目にたくさんの人の拍手と、ゴールした一人一人を写真に収めているカメラのフラッシュに迎えられ、ゴールインした。

あとがき
 このレースは全国一の会員を擁する東京都山岳連盟が主催し、文部省、日本山岳会など17の団体が後援、その他数多くの企業の協賛を得、37人の大会役員と、253人の実行委員、地元あきる野市の多くのボランティアの人たちの協力によって開催される、スケールの大きなレースである。
 出湯者は全国から集まり、参加者名簿で確認した今回の参加申込者は、右表の通り。

 昨年の報告書によると、天候に恵まれ過去最高の完走率で70%‥今年は気温が高かったため完走率は下がるだろう。今年の1位の人の時間は10時間50分台で、昨年の9時間36分での1位と比べるとだいぶ遅いが、これも暑さが大きく影響していると考えられる。
 またこのレースは昨年から文部省の後援を得たが、過去の開催で大きな事故がなかったというのも、理由の一つとなっている。しかし真っ暗閣の中、夜を徹して走るという過酷なレースのため、事故が起きないのが不思議なくらい。昨年の報告書には、骨折2件を含め、41の障害、外傷などで都山岳連盟の顧問医師の治療を受けている。私はこのレース中何十回となく滑り、ゴール間近の山中で3回足首をひねっている。幸い大事には至らなかったが、一歩間違えば、担架で運ばれていたかもしれない。

 次に本大会を主催する東京都山岳連盟の運営に感謝したい。一晩中コースの随所に立ち、我々を拍手で迎えてくれた都山岳連盟の救助隊員や係りの人たち。おかげでなんとか最後まで走り通す事ができた。
 私はこのレースにのぞむにあたり、レースの1ケ月前にコースの下見を兼ねて、1人で奥多摩の山を走った。その結果は時間の制限もあったが、第1関門の半分までも行けなかった。こりや、へたをすると24時間内での完走は、むずかしいかな、とも考えるようになった。が、希望的目標時間を20時間、順位500番以内で完走と設定した。しかしこれを大幅に短縮することができ、大満足の結果となった。
 レースも後半になると、走りながらもう二度とこのレースに出ることはないだろう。こんな苦しいレースはもうごめんだと、絶えず考えていた。この気持ちはレースが終わり、日立に戻っても2〜3日は変わらなかった。しかし1週間が過ぎた今、あんなすごいレース、来年はどういうトレーニングをしようかと考え始めた。