第7回日本山岳耐久レース

  初参加の昨年に続き、今年も本大会に出場し完走することができた。
 昨年はレースの後半から膝が痛く、急降では両手両足を使い這うように歩いた。また激しい疲労感や、時折おそう眠気で行動中はもう二度とこのレースには出たくないと考え続けていた。しかし夏も近くなると、今年のレースの案内はいつ頃届くだろうか、少し走り込みをしなければなどと考えているのである。そんなわけで東京都山岳連盟から本大会の案内が届いたときにはごく自然に参加申込書に書き込んでいた。

 別にはっきりと本大会を目標としたトレーニングをしたわけではないが、今年初めから大腿四頭筋の強化という目標で、そのためのトレーニングを毎日少しずつ続けてきた。この効果が出たのか今年6月の奥秩父縦走や7月の北アルプス縦走などの山行時に、膝の痛みを全く感じることなく歩き通すことができた。

 初出場の昨年は準備する衣類や靴、行動食など少し迷ったが、前年のレースの報告書を取り寄せ、参加者の感想文などを何度か読み返し、これらを参考に準備した。昨年スタート時は半ズボン、Tシャツでこのほか持参した衣類は、Tシャツに防寒着を兼ねたゴアテックスの雨具上着(昨年は当日に絶対雨は降らないだろうと考え雨具の下は出発前に五日市の体育館に置いてきた)をリュックに詰めた。また行動食はおにぎり(大きめの4ヶ)、カロリーメイト(3ヶ)それに飴を持ち込んだ。しかしレース中は食欲がなくおにぎりは水で流し込んだ。またカロリーメイトや飴は全然受け付けなかった。
 2回目の今回は長時間のレースで持参する食料は大事だと考え、雑誌などの記事を参考に用意した食料は、おにぎり小さめの6ヶ、ザバス1ヶ、大きいせんべい2枚、特製蜂蜜レモン(蜂蜜の中にレモンを細かく切ったモノを小さな容器に入れた。)をリュックに詰めた。また今年も水3.5リットル(真水2.5リットル、エネルゲン水1リットル)を用意した。今年は昨年と比べ日程は2週間遅れている。このため夜の冷え込みを考え、スタート時は昨年と同じ半ズボン、Tシャツだが、このほか長袖トレーニングウェア、ゴアテックスの雨具上下をリュックに詰めた。このため昨年より少し重い約7Kgの重量となった。
 五日市会館で受付と装備品のチェックを済ませ、スタート前の時間を体育館でくつろぐが、館内は参加者でぎっしり。周りを見ると皆強そうな人ばかりで、しかも昨年と比べ若い人が多い気がする。この後体育館からグランドに移り、開会式後、午後1時にスタートした。
 昨年は泳いでいる子供達の姿も見えた秋川には、釣り人一人が確認できただけ。11月近いという季節が感じられる。

 スタート後ほどなく今熊神社入り口に着いた。ここまで距離約4Km、標高差130mを駆け上がったきたが、今熊神社に通じる長い急な石段で、ここでほとんどの人は走るのはやめ、歩きとなる。このためここから汗が噴き出すのだ。私も周りの人たちも汗をぼたぼたと垂らしている。これを登り切るといよいよ奥多摩の山中という感じになる。アップダウンを繰り返し、高度を上げながらも、木漏れ日の中の快適な走り。山岳マラソンの醍醐味が感じられる。10キロ地点を少し越えたあたりだろうか、計測ポイントで250位ちょうど。昨年はこの先23Km地点にある第一関門で300位くらいだから今日は早い。

 やがてスタート後23Km地点に設けられた第一関門に着いた。時間は3時間54分経過している。ここで腰を下ろして初めての休憩を取る。本レースの日程は昨年と比べ2週間遅れているが、到着時間は昨年より25分早い。それを意識すると周りの人が気になる。休んでいる間にも次々と到着し、また出発していく。自分も先を急ごう。まだ日没まで時間はあるがここで昨年と同じようにロングタイツをはき、ヘッドランプを装着した。           

 昨年のこのレース中、腰を下ろして休憩したのは、第一関門のある浅間峠、三頭山山頂、第二関門の月夜見山第二駐車場、大ダワ林道、および日の出山山頂である。今回もこの後三頭山を目指してがんばろう。コースを全然知らずただゴールだけを目指した昨年と違い、今年は次の目標が分かるので、気分的に楽だ。まだヘッドランプを点灯していないが、日も陰り気温も下がっているようだ。走りながらも肌寒さを感じる。そういえば発汗が少なくなってきている。吐く息が白く、ヘッドランプの明かりに浮かび上がる。
 アップダウンの繰り返しのなか、下りではよく滑る。後ろから勢い良く私を追い越していった人が少し先で谷側に滑り落ちた。谷といっても勾配のなだらかな浅いところであるため、彼はすぐ這い上がってきたが、とにかく気を抜くことのできない下りである。

 三頭山に近づいたのだろうか急登の連続となった。前後にヘッドランプの明かりがゆらゆらと見える。ほとんどの人が立ち止まることなく黙々と急な登りを歩き続ける。つらい。足に疲労もたまり、苦しいながらも、先へ先へと歩き続ける。前後の人誰もが同じ気持ちでがんばっていることだろうと考えると、私も立ち止まることなく歩を進める。腹が減った。もうすぐ三頭山。着いたらゆっくり食事をし、水を飲もう。こんな事を考えるだけで励みになるのである。やがて暗闇の上の方で人の声が聞こえてきた。三頭山山頂に着いたのだ。都岳連の人が温度計を見て気温7度と言っていた。順位が早いせいか、休憩しないで通過する人もいる。休む人も小休止という感じで、ちょっと腰を下ろし水を飲んだりして、すぐまた暗やみに消えていく。私はここでどっかり腰を下ろし、食事タイムを取る。腹が減った。食事がすごく旨い。あっという間におにぎり5ヶをたいらげ、せんべいを食べ、特製蜂蜜レモンをとった。普段は蜂蜜のような甘いモノは好まないが、今日は旨い。今は運動中であり、食べ過ぎは良くないと思いつつ、ザバス1ヶを残しすべて食べてしまった。

 この夜は山頂からの満月が美しかった。また到着した我々を迎えてくれる都岳連の女性達の暖かい言葉。できるならばここでずっと時間を過ごしたい気分だ。しかし今はレース中、先を急ごう。次の目標はこの先の第二関門だ。 再び暗い登山道を走りだした。今の三頭山が本レース中の最高峰で標高1527m、この後これ以上の高いところを登ることはない。次の第二関門まではアップダウンを繰り返しながらも、標高1100mまで下る。前後に人を見かけることは少なく、コースを見失わないように気をつかう。しばらくして舗装された林道に出た。この林道は月夜見駐車場につながる道路であり、第二関門はもうすぐ。少しの間林道を走り、都岳連の人の誘導で再び山中に入る。ここから駐車場まで距離はないが、急降が続く。とにかく滑りやすい道で、両手を使い手がかりを探し、慎重に降りた。すぐに第二関門到着。時間はスタート後8時間33分で昨年より50分早い。ここで水0.5リットル、エネルゲン水1リットルの補給を受ける。

 テレビカメラを抱えた人が、疲れて座り込んでいる人にインタビューをしたり、しばしの休息から再びレースに戻り、いきなりまっ暗い急な登山道を駆け下りて行く人の後ろ姿を撮影している。私もここで腰を下ろしゆっくり水を飲み休憩を取ったが、前の三頭山で食べ過ぎたせいか腹の具合が悪い。その後ストレッチを行い再び行動開始。最初の下りはヘッドランプの細い一筋の明かりを頼りに闇の中に突っ込んでいくという感じである。前後に人のいない闇の中で自分だけのレースが続く。小河内峠と書かれた標識があった。左側眼下に湖が見える。あれが小河内ダムのある奥多摩湖だ。湖畔に明かりが転々と灯り、周囲の暗い中、まるで漁火のように湖の輪郭が確認できる。あの明かりは何だろう。湖に船でも停泊しているのか、それとも民家の明かりなのだろうか。

 レースも後半、いつもなら酒でも飲んでぐっすり眠り込んでいるだろうこの時間、ここまで来るとただゴールすることだけを目指し、登り、下り、走り、そして歩き続ける。

 大ダワの林道に設けられたチェックポイントに着いた。ここで道路上に座り込み、5分くらいの休憩をとり、再び山中に入る。この後はもうゴールまで21Kmちょっと。大岳山、御岳山、日の出山から麻生山、そして金比羅尾根を下るだけだ。しばらく走り、大岳山を過ぎ御岳山に設けられた第三関門に着いたが、ここは昨年と同じように走って通過した。まもなく日の出山山頂に着いた。周りには5〜6人が休憩している。昨年は寝込んでいる人がいたが今夜はいない。ベンチにどっかり腰を下ろし、最後の食料であるザバスを口に流し込んだ。ゼリー状の流動食ですぐ飲み込んでしまった。こんな事ならもっと持って来るんだった。休憩している間にも一人、二人と登ってくる。ふと気が付くと周りには誰一人いない。昨年は寝込んでいる人、どっかり腰を下ろししばらく動かない人などが多かったが今年は時間が早いせいか(順位が少し上がっているせいか)ちょっと休憩してすぐに出発する。これは休憩中でも後続の人が登ってくる、先に休んでいる人は後続の人の休憩中に行こう、あるいはここまで来たら少しでも先を急ごうという心理が働くのではないかと考える。廻りに誰もいなくなり、私も立ち上がった。ここにも都岳連の人がいる。西の方を見ると月明かりの中、奥多摩の山々の稜線がはっきり見える。本レースの過去の報告書や公認マップに書かれている、全コースの断面図そのままが山中に描かれている。あの一番高いところが三頭山か、すごいところを通り過ぎてきたものだ。

ゴールまで後10キロ。足に疲労感はあるが、昨年と違い膝の痛みはない。そのためだろう時間も順位も昨年を上回っている。ただ本コースの下りはすごく滑りやすいところが多く、スピードダウンするところがたくさんあった。しかしこういうところでもストックを使った人たちに追い抜かれている。今回はつくづくストックの必要性を感じた。私は普段の山行ではストックを使用したことはないが、このレースではストックを使いこなす人と、使わない人では、大きな差が感じられる。
 昨年は金比羅尾根を下りながら、ゴールまで後5キロぐらいのところで夜明けを迎えたが、今年は昨年よりだいぶ早く、まだ暗闇の中4時26分、スタート後15時間26分、順位161位でゴールすることができた。