第8回日本山岳耐久レース

   10月8日と9日の2日間にわたって行われた、私にとって今年で3年連続となる第8回日本山岳耐久レースに挑み、完走することができた。

 8日東京都あきる野市役所に集合、空模様が心配される中、開会式が行われ、恒例の東京都山岳連盟会長や、地元あきる野市市長の挨拶に続き、登山家の故長谷川恒夫さんの婦人の紹介があった。本レースの名称は日本山岳耐久レースであるが、別に長谷川カップと称している。このため彼女もゲストとして開会式に参加していた。開会式で挨拶に立った彼らは一様に天候を心配し、審判委員長は天候悪化の場合、けっして無理をせずリタイアしてほしいと話していた。

 今年冬に行われたマラソン大会で私はこれまでで一番良い記録で走っている。このため自分の肉体的には今がピークかななんて思い、今年一年がんばってみよう、と考えていた。本レースで具体的には @腰を下ろしての大休止の時間を小休止にする A疲れの出てくる後半をできるだけ走り通す、の二つを実行しようと思っている。それと共に出場3回目となり、レースの怖さも感じている。けがをしないよう、そのためには決して無理をしない、安全レースを心がけようと考えた。

期待と不安と決意の入り交じった複雑な思いを胸に、午後1時ちょうどレースはスタートした。今日の秋川では河川敷でバーベキューでもやっているのだろうか、シートの上に座り込んでいる人たちが見えた。紅葉には少し早い昼下がりの秋川渓谷の眺めだ。この少し先で長谷川婦人は、これから山に入る参加者に声援を送っていた。

 今回私の用意した食料は昨年とほぼ同じで、小さめのおにぎり6個、大きいせんべい8枚、レモンの砂糖漬けレモン2個分、ゼリー状のエネルギー補給食ウイーダー3個、それにエネルゲン水1リッター、真水2.5リッターでリュックの重量は6Kgとなった。どんよりとした空模様で明るい日差しはないが、日没前で快適な走りが続く。

スタート後3時間57分に第1関門の浅間峠に着いた。時間は昨年とほぼ同じ。ここで初めての休憩をとる。食欲はないが荷物を軽くするため、おにぎり3個を水で流し込み、これからの夜間レースに備え、ロングタイツをはき、ヘッドランプを装着した。今日の天気では、暗くなるのも早い。ここは早々に出発した。日も沈み、気温も下がってきた。吐く息も白くヘッドランプの明かりに浮かび上がる。しばらく走っていると、突然視界が白く霞み、見えにくくなった。ちょうど眼鏡を掛けて、熱いお茶を飲んだとき、眼鏡が一瞬湯気で曇り見えにくくなる、あの感覚だ。この時だいぶ冷え込んできたな、吐く息で眼鏡が真っ白だと考えてしまった。しかしすぐ、あれ、眼鏡は掛けてないぞと気が付いた。よく見るとこの白い原因は霧である。霧がヘッドランプの一筋の明かりに浮かび上がり、視界を覆ってしまうのだ。この霧はすぐに引いたが、この後も出たり消えたりを繰り返した。

 アップダウンの繰り返しが続く。この道は関東ふれあいの道に指定されており、登山道の標識も良く整備されていて、次の目標となるピークあるいは峠がわかりやすい。いくつの山を登りそして峠へ下ったろうか、長い急登の後、丸太を敷いた階段となり、やがて奥多摩の最高峰三頭山に着いた。時間はスタート後7時間8分で午後8時8分になる。家庭では食後の団らんのひとときであろうか。山頂には沢山のテントが設営されていた。ここは本レースのほぼ中間地点でスタート後約36Kmの地点である。ここで2度目の休憩を取る。第1関門でおにぎりを食べたのであまり食欲がないが、せんべい、レモンの砂糖漬け、それにウイーダーを口に入れた。休んでいると身体がどんどん冷え込んでくる。寒い。ここでの休憩は5分も無かったと思う。次の目的地である第2関門の月夜見峠に向けて、レースに戻った。

道は滑りやすかった。例年下りは滑りやすいが、それでも立ったまま前のめりになる程度で倒れるのをうまくかわしたが、今日はこれまでに幾度か、足を取られ、しりもちをついている。滑りやすい所は十分注意して進むが、それでもつるつると滑る。第2関門も間近い杉林の急な斜面に作られた登山道を走っていると、左手下の方で人の声が聞こえてきた。道を間違えて沢に入り込んだようだ。真っ暗い中、私のヘッドランプの一筋の明かりを見て、「道はそっちですか?」と大声を掛けてきた。私も「こっちですよ」と答えたが、「あれ、ひょっとしたら彼の方が正しいのでは」と不安を抱きつつ、次の標識が確認できるまで、しばらく走ることになった。

すぐに第2関門の月夜見峠に着いた。ここはフルマラソンとほぼ同じ42Km地点で、時間はスタート後8時間と46分で午後9時46分となる。日常の生活ではこの時間勤めから戻り、入浴後一杯やっている時間だ。この第2関門は今夜一晩だけ不夜城となる。昼間は山岳ドライブを楽しむ車が多いであろう、舗装された林道上の広い駐車場に関門が設けられている。この林道は夜間は通行禁止となっているのでこの時間、一般の車はもちろん一台もない。今は照明用の発電機や簡易トイレを積んだ大型トラックが並んでいる。ここはコース中唯一給水が受けられるところで、多くの参加者はここへ着くまでに水が無くなっており、ここは我々にはオアシスなのだ。東京都山岳連盟の人が、山積みされた天然水とエネルゲン水のペットボトルを前に、到着した人たちの水筒に一人1.5リッターまで補給している。私は昨年と同じ水1リッター、エネルゲン水0.5リッターを補給してもらった。ここで残りのおにぎり3個を食べ、すぐに出発した。

ここから小河内峠まで一度下り、再び御前山までの長い登りとなる。あいかわらず滑る。何度か激しくしりもちをついた。真っ暗い登山道を走っていて、右膝に強い衝撃を受けた。薮で覆われた細い登山道に突き出た切り株にしこたま膝をぶつけたのだ。あまりの痛さにしばらく動けなかった。しばらくして痛みも和らぎ、再びゆっくり走り出したが、今度は左足指を倒木にぶつけた。これで走るのをやめ歩き出した。

道は急斜面の続く、長い登山道となった。カタクリの御前山への道だ。ここには一度破壊された自然を、長い年月を掛けて、再生に取り組んでいる旨の注意看板が、何カ所にも掲げられて、カタクリの保護と登山道の整備が計られている。早春には可愛らしい花を咲かせるであろうこの場所も、今の私には大変苦痛の感じられる所だ。山頂へと続く道を真っ暗い中ただひたすら登る。なかなか山頂に達しない長い登りだが、休むことなくひたすら登り続ける。しかしこれだけ苦しんでめざした山頂も、時間の経過と共にたどり着き、休むことなくあっという間に通り過ぎた。

 御前山からは次の目標は大ダワである。ここから一気に峠の鞍部まで下るが、この道がつづらおりの急降で狭くしかもすごく滑りやすい難所である。手足を使い慎重に降りたがそれでもツルツルとよく滑った。しりもちをついて手で地面をついたところが、石の上だったことがある。人は倒れそうになったとき、必ず足や手で身体を支えようとする。これは頭や身体の大切な部分を守ろうとする人間の本能なのだ。登山で多い事故はこの時支えようとした手や足に強い荷重が加わり、骨折などに事故につながる。私も石に手をついたとき、それまでの土と違い、衝撃が大きかった。幸い大事に至らなかったが、十分注意しなければ。また同じように滑ってしりもちをついたとき、支えようとして手をついたところに、栗のいががあり飛び上がるほど痛い思いをした。これらのことから滑ることに恐怖心を抱くようになっていた。

やがて大ダワに着いた。ここまで来ると完走の見通しが確実になってくる。あとは大岳山、御岳山、そして日の出山で残る距離は22kmとなる。天候が悪く月明かりのない真っ暗い中植林された杉林の中を歩く。

今は深夜の2時頃だろうか。ヘッドランプの一筋の明かりの届かない廻りは、し−んと静まり返り、真っ暗である。レースでもなければとても一人で歩くことはないだろう。走るのはやめても早歩きのため、先行する一人に追いついた。彼と家族の話や、山の話などしながら、二人で歩いたが、そのうちもう一人も加わり、3人となった。コースは大岳山への登りとなり、鎖場もあるごっごっとした岩場を通り抜け、山頂に着いた。ここから足場の悪い下りがしばらく続き、いくつかの山の中腹に造られ植林された登山道となる。小雨が降ってきた。ほんのわずかにちらつく程度で、汗にまみれた身体には心地よく感じられるが、これ以上雨足が激しくならないよう願った。この3人で大岳山、御岳山そして日の出山と歩いた。ここまで来るともう後10Km。もう後はなだらかな下りだけだ。日の出山山頂で小休止していると、他の二人はいつの間にか出発していた。

ヘッドランプの明かりもだいぶ暗くなってきた。ここで予備の電池に替えようと考えたが、今回このレースのために購入した懐中電灯を使ってみることにした。ヘッドランプの明かりと比較してみると、それはもう感動的な明るさだった。暗闇での電池交換や、ヘッドランプのトラブルの際に使おうと考え購入したもので、マグライトという米国製で、単三乾電池2個を使用した小型のものだ。この明かりを手にしたとたん、残り10Kmを走りきろうという思いがわき上がってきた。今までのヘッドランプと比べ、十分な視界が得られ快適な走りで、すぐに先行する二人に追いっき追い越した。大ダワへの下りで足を痛めてからはず一つと歩きだったので、新鮮な気持ちで走ることができ、過去2回のレースでは抜かれるだけだった残り10Kmで何人かを追い抜いた。

 本大会の趣旨として東京都山岳連盟が掲げていることに、「ヒマラヤではファイナルキャンプよりアタックするとき、頂上を極めてからアタックキャンプに帰還する時間は、昼夜にわたることがしばしばある。このレースをトレーニングの一つとして、ヒマラヤを目指す若きクライマーの登竜門として位置づけている。自己の限界に挑戦し体を鍛えていく。」.‥ などとうたわれている。私は若くもないし、クライマーでもない。だが、これからも長く山とかかわっていきたいという強い思いがあり、このレースもがんばれるのだろう。しかし今回のレースも後半には激しい疲労感と眠気から、来年からはもうやめようという思いで歩き続けた。
 スタート後15時間37分、まだ夜の明けない午前4時37分、165位でゴールした。