常陸太田市の西山公園入口に建てられた、休憩施設「西山の里」。 郷土の物産販売や観光案内などがある。 ここから西山荘まで公園として整備され、庭園や菖蒲園がある。 |
西山荘は、水戸藩2代藩主徳川光圀が10年間過ごした隠居所 。 光圀は、ここで歴史書「大日本史」の編纂にあたったといわれて いる。 |
ここには、水戸黄門漫遊記で知られ、格さんと共に水戸黄門に仕える家臣であった助さん(佐々介三郎宗淳 (さっさ すけさぶろう むねきよ)の住居跡が保存されている。 | 西山の里からわずか東に位置する西山公園は、丘陵地という 地形を生かした公園に仕上げている。 |
園内には展望台もつくられている。 ここからは、常陸太田市の市街地や阿武隈山地も、望むことができる。 |
公園の一角には、義公廟 (ぎこうびょう) と呼ばれる建築物があ る。義公とは、水戸光圀のこと。 この案内板には「昭和16年に、光圀公の遺徳を忍んで建立され た。廟の中には、光圀公が生母の菩提を弔うために、法華経一 部十巻を書き写した桧板三十枚を納める宝塔が安置されてい る」、というようなことが書かれている。 |
この後、瑞竜山 (ずいりゅうさん) に向かった。 瑞竜山は、山全体が水戸徳川家の墓地になっている。 もう何十年も前に一度訪ねたことがある。 そのときは入山料か案内料のようなものを払い、立ち入った記憶がある。 たくさんの墓石を見て、変わった形だなという思いがあった。 ここの墓は儒教の様式によるもので、これまで見慣れた墓石とは違っている。 |
しかし、入口の門扉が閉じられ、中に入ることはできない。 入口が閉じられている理由を、近くの人に尋ねると、「2011年 3月に発生した東日本大震災で、石垣や墓石が倒れた。今は重 機などが入り、大掛かりな修復工事をしている。9年計画で今年 が3年目です」とのこと。 まだしばらくは入山できないようだ。 |