筑波連山の一つである加波山は、修験道の霊山として知られていた。
山頂付近ではブナが多く見られ、この時期新緑を展開している。
江戸時代以前までは、加波山大権現と呼ばれる神社。
江戸時代になると、中宮、本宮、新宮をそれぞれ別な寺院が納め、3社に分かれた。
しかし、明治新政府が神仏分離令を出し、これまで続いてきた神仏習合を禁じた。
現在は、加波山神社中宮が加波山神社、本宮が加波山三枝祇 (さえなづみ) 神社本宮、そして親宮が加波山三枝祇神社親宮のことをいう (つくば新聞より)

左が中宮拝殿、右が親宮拝殿。
中宮拝殿と親宮拝殿の間につくられた道を登ると、山頂には、本宮が祀られている。
山頂付近には、新緑に混じりヤマザクラも見られる。
木々の間からは、燕山 (つばくろさん) と山頂の電波塔。
新緑に混じり鮮やかな赤紫色の花を見せるのは、トウゴクミツバツツジ。
この付近は、良質な花こう岩の山地としても知られている。
加波山花こう岩は真壁石とも呼ばれ、迎賓館などの建築にも使われている。
山頂付近では、節理の発達した巨石が多く見られる。
加波山は、歴史的にも知られた山。
明治時代、自由民権運動が高まり、「加波山事件」が起こった。
しかし、計画した自由党員は追い詰められ、ここ加波山に立てこもり決起を呼びかけたが失敗し、彼らは処刑された。
彼らが掲げた自由の旗を象徴する「旗立石 (はたたていし) 」。
   加波山
        桜川市  (2017-5-5)