利根川の支流である小貝川は、これまでたびたび洪水をおこし、暴れ川として知られている。
徳川幕府の時代、新田開発や洪水対策、舟を使って物資を運ぶための舟運 (しゅううん) などの目的で、河川の大規模な改修工事を行った。

かっては、利根川は東京湾に流れ込んでいた。この流れを東京湾ではなく、常陸川に接続した。
常陸川とは、今の栃木県南部から茨城県南を通り、太平洋に流れていた川。
当時、鬼怒川と小貝川は合流し、一つの川となって、常陸川につながっていた。
この鬼怒川と合流していた小貝川を切り離し、それぞれ直接利根川に接続した。
この結果、常陸川は利根川となり、鬼怒川と小貝川は利根川の支流となった。

このように河川の流れを操作することにより、広大な新田開発が進み、灌漑用の堰ができた。
小貝川には、関東三大堰と呼ばれる堰があり、ここ岡堰もその一つ。
             
初期の堰は、江戸時代の寛永7年に設けられた。
その後、何度か改修され、現在の岡堰は昭和40年に作られた。
堰の間からは、筑波山が見えた。
ここは、中の島と呼ばれる、中州を利用した公園。
初期の堰建造には、探検家として知られる間宮林蔵も関わったとのことで、ここ中の島には彼の銅像が建てられている。

毎年3月末には、灌漑用水確保のため堰の水門を閉め、中の島周囲は水面下になる。
 中の島には、改修前の堰の一部が保存されている。  
堰の上流には、水神岬公園がある。
古くこの岬は、周囲の中洲などと共に、小貝川の水流をじぐざくにして、堤防を護る役をしていた、という。岬の中には、水神宮が祭られている。
この水神宮は、河川に住む水の神で、灌漑用水や堰の守護神ということだろうか。
周囲にはロープが張られ、立ち入ることができない。    
岡堰水神宮岬公園
       取手市  (2015-09-21)