安達太良連峰 
安達太良山(1700m)〜鉄山(1709mm)〜箕輪山(1718m)〜船明神山(1641m)
山行期間   平成13年5月5日
ルート: あだたら高原スキー場一薬師岳一安達太良山一鉄山一笑輪山一鉄山一牛ノ背一船明神山一牛ノ背一峰ノ辻一勢至平分岐一あだたら高原スキー場

  朝の6時15分安達太良高原スキー場着。周囲には30台くらいの車とテントも2張り見える。これから登る山はガスで見えないが、時折切れ目からは斜面に白い雪が見える。前方のゲレンデには殆ど雪は無い。周囲には登山支度の人や、ゴンドラが動くまで待つのであろう、のんびりと過ごしている人が見える。

  登山カードに記入し6時40分登山開始。ほとんど無風状態で小鳥の鳴き声が心地よい。登山道のカラマツやミズナラなどまだ芽吹きが見られない。数日前の自宅の裏山付近散歩でのリョウブは早くも新緑が美しかったが、安達太良のリョウブはまだ芽吹きが見られない。右手から沢のせせらぎ、そして耐えることのない小鳥のさえずり。両側にびっしりと見られるチシマザサも収穫にはまだだいぶ先のようだ。すぐに登山道は急な残雪の登りとなった。左手に薬師岳、青空も見えるが、下からは広い範囲でガスが発生してきた。ジジュウカラ、ウグイス、キジバトの鳴き声が聞こえる。

 ´´上空にはジェット音とともに飛行機雲が青いキャンバスに描かれていく。この辺上空は国内線の航路になっており、北海道に向かうジェット機が時折見られる。五葉松平付近で登山道には雪が無くなった。前方の薬師岳ははっきり見えるが、今登ってきた後ろはびっしりの雲海で覆われ何も見えない。ときおりガサッという音と共に潅木の枝が跳ね上がる。雪で押さえ込まれていた木の枝が雪溶けが進み、枝が跳ね上げられるのだ。ハイマツとともに沢山見られるシヤクナゲも、眠りから覚めたばかりという感じで葉が垂れ下がっていて、つぼみもまだ固そうだ。前方に安達太良山頂、斜面には沢山の残雪がありそうだ。硫黄の匂いがかすかに感じられる。7時28分薬師岳に着いた。地形図で周囲の展望を確認する。安達太良から右に矢筈ガ森、鉄山そして箕輪山がくっきりと見える。

  薬師岳を過ぎると再び雪道となった。頭上の樹には雪で登山道が埋もれた場合でも見失わないように、赤い布がこまめに取り付けられている。このあたりの登山道は降雨や雪溶け、それに登山者などにより深くえぐられている。ここに沢山の雪が蓄えられ、ときおり登山道のシヤクナゲの木が雪で覆われ枝先だけがちょこっと出ているところがある。道は植生が変わり潅木帯からハイマツなどの低木の稜線に出ると、少しずつ風が出てきた。途中70代と思われる単独の登山者に会う。彼は昨夜はくろがね小屋に泊まり、今朝山頂から帰るところと言う。山頂下のトラパースぎみの斜面には沢山の残雪があり、登山道を示す竹竿に赤い布が取り付けてあった。これまでに降りてくる3組のパーティに会った。

   8時28分山頂着。さすがに風が強い。山頂からは、これから歩く山がほぼ一直線に見える。西に磐梯山がうっすらと霞んで見え、白い雲と山肌の黒、そして白い雪がアルプス的な風景を醸しだし、荘厳な感じさえ受ける。北には吾妻連峰が見える。矢筈ガ森から左手下に古い噴火口跡の沼ノ平。白い砂礫のような地肌に雪に混じり、植物が生えずまるで死の谷で巨大な蟻地獄にも見える。右手くろがね小屋方面の斜面には沢山の残雪が見える。山頂では展望を楽しみ、小休止後鉄山に向かう。矢筈ガ森を下りほどなく鉄山との鞍部に着いた。右手の沢筋を辿り下流方向を見るとくろがね小屋がハツキリと見える。地図で確認すると、くろがね小屋から沢伝いにこのコルまで道があり、またこのコルの少し先左手には沼ノ平に降りる方向にも道があり、そこには岩の上にも赤い印でハツキリと登山道が沼ノ平まで降りている。しかし入口にはロープが張られそして立入禁止の警告板が立てられている。これには平成9年9月に有毒な火山ガスによる遭難事故発生、非常に危険だから絶対に立ち入らないこと、と書かれている。
  この先にはくろがね小屋へ通じる道があり、ここにもくろがね小屋西斜面への道は有毒ガスで危険、立ち入るなと書かれている警告板がありロープがはられていた。

   9時15分鉄山着。前方に小屋が見えた。すぐに鉄山避難小屋と書かれた小屋に着いた。地形図には記載されていないので、新しい小屋ができたのだと思いこんでいた。しかし後に自宅に戻りガイドブックで調べてみると、この鉄山避難小屋は平成7年に新設された小屋だが、地形図は昭和63年に修正されたものだ。「なるほど」。定員15名と書かれているが20名は楽に入れそうな綺麗な小屋である。小屋前から西に胎内岩コースで沼尻温泉に降りる道が確認できる。小屋の前から北の箕輪山に向かう。雪のないハイマツ帯の快適な稜線歩き。前方すぐ前にお椀を伏せたような、丸く大きくたおやかな山容の箕輪山が見える。その先にあるはずの鬼面山は標高が低くここからは見えない。箕輪山に登れば前方にハツキリと見えるだろう。鉄山から箕輪山へのコルまでの登山道は背丈の低い笹でびっしり覆われ、道が見えない。しかも狭い雪解けの道でグチヤグチヤして歩きにくい。

   9時53分箕輪山山頂着。ここは安達太良連峰の最高峰であり360度の展望が開けるが、周囲には古く錆びた空き缶が半ば土に埋もれた状態で散乱していた。北に深い山容の吾妻連峰、西に爆裂火口を見せる磐梯山、そして右下に磐梯山の噴火によってできた秋元湖。山頂から鬼面山は見えない。少し下ったところでやっと鬼面山が見えた。かなり下るようだ。道も笹で覆われ見えない。改めて地形図を取り出してみた。箕輪山と鬼面山を比較してみると、その山容の通り、丸く大きな等高線を描く箕輪山と、対照的に小さく込み入った等高線の鬼面山、二次元的に地形図を見ると縦走したくなるのである。しかし実景を見て改めて地図を確認してみると、箕輪山から標高差で300m以上下り80m登り返す。この山は縦走の通過点としての山であり、そこを目的として行く山ではない。靴擦れも痛い。などと勝手に口実を設けてここで引き返すことにした。鉄山との鞍部にはハイマツに混じりたくさんのシヤクナゲやタカネザクラが見られる。6月には咲くだろう。

   再び鉄山避難小屋に着いた。いっそう近くに見える磐梯山は春霞でうっすらとかすんでいる。爆裂火口の跡にはたくさんの雪が蓄えられ、稜線上にもまだまだ雪がありそうだ。小屋前から通じる胎内岩コース上の小ピークに明らかに人工的で異様な物が見える。避難小屋からは往復で500mくらいだろうか、どうせ今日はのんびりハイクだからあそこまで行ってみよう。それは大人の頭くらいの石がセメントで固められその上に大きなプロペラが2つ置かれていた。プロペラは本物だろうか。石楠花の塔と書かれ、磐梯山の方向に向かって立てられている。そういえば以前本か何かで、戦争中に飛行機がどこかの山に落ちてたくさんの犠牲者が出た、というような記事を目にしたことがある。あの記事がこれだったのかな。いや、あれはもっと遠くの山でこんな身近な山じやなかった、などとあれこれ考えながら、しばらく感慨にふけった。自宅に戻り、この石楠花の塔のいわれを知りたくインターネットで検索してみたが該当するものは無かった。しかしその昔、自衛隊機がここで墜落事故を起こしたその慰霊碑ということはわかった。けれども私には戦後の自衛隊というよりは、戦前の軍隊のような気がする。

 帰りの登山道、鉄山から矢筈の森を通過したあたりで無線機のスイッチを入れてみた。すぐに岩手県気仙沼を車で走行中の人の呼びかけに答え話し始めたがロケーションが悪く、間もなく交信が途絶えてしまった。右手に荒涼たる沼ノ平を見ながらの歩きで、硫黄の匂いと共に、風で沼ノ平方面から有毒ガスが漂ってこないかと、いらぬ心配をしてしまう。時間もたっぷりあるので、今歩いているこの主稜線から沼ノ平を回るように右手に伸びている尾根を辿って、この先にあるおもしろそうな形の山へ登ってみよう。地形図で調べると船明神山と書かれている。登山道は赤土に石が混じり、沼ノ平の影響であろう、ほんのわずかにハイマツがみられるが他の植物はない稜線歩きで、主稜線から外れた静かな山だ。右側の斜面から沼ノ平には植物はいっさい見あたらない。船明神山にはすぐに着いた。山頂はハイマツで覆われピークらしい物はない。東に安達太良、山頂にはおおぜいの人が小さな点となって見える。南に和尚山、西に磐梯山、その左手に南会津の山々。上空雲が多くなり、いつの間にか青空は覆われていた。

   ちょうど12時、大展望の中でゆっくりと昼食をとった。休憩後主稜線に戻り鞍部から峰ノ辻に向かった。この辺は火山特有の岩場であり、冬山でガスが発生し視界が確保できない場合は登山道を見失う危険がある。地形を読みコンパスを合わせて歩くことのできる技術が必要であろう。途中斜面のトラパースには残雪が多いが、雪溶けも進み水分をたっぷり含んだ雪はずっしりと重い。しかし積雪期にはここは雪崩を警戒する必要があるだろう。峰ノ辻から帰路はくろがね小屋へ向かわず、篭山脇を通り勢至平分岐に出る道を選んだ。ほとんどの人がくろがね小屋経由のルートを歩いている。くろがね小屋までの間にはここにも斜面のトラパースがあり、やはり積雪期には雪崩の注意が必要であろう。

  勢至平分岐まではあまり人の歩かれていない、雪解けの進んだ潅木の中の歩きづらい道だったが、分岐を過ぎるとやがて雪は完全になくなり、しばらく歩き登山口に近くなると、まだ緑の少ない登山道に咲くショウジョウバカマがあちこちに見られた。2時10分登山口であるスキー場に着いたが、登山客や観光客であの広い駐車場がほぼ満杯となっていた。