ハンディキャップを持つ人のために何ができるか

私には今でも思い出すたびに悔やまれることがある。

  それは平成12年8月に南アルプスの甲斐駒ヶ岳から仙丈岳そして、北岳、間ノ岳、農鳥岳の白峰三山を縦走しようと黒戸尾根を歩き始めたときのこと。まもなく登山道で休憩している、夫婦と子供の3人連れの家族に会った。母親は汗をかいた子供の着替えを手伝っていた。私はすれ違いざまに、「今日は、暑いですね」と声をかけた。父親が自分の口の前で手を振り、その手の平に「ザレ場まであとどのくらいですか」と書いて私に見せた。両親は聴覚障害者、高校生ぐらいの年頃の男の子も障害を持つ子供だった。

 

私は地図で確認しあと30分ぐらいでしょうと答えそのまま先に進んだ。すぐに道は2本に分かれていて、ザレ場の方向はどちらか私も迷った。ここでは当然彼らも迷うだろうと考え、一方の道を進みその道がザレ場方面であることを確認して先ほどの分岐まで戻り彼らを待った。しばらくして彼らと再会したとき、父親はうれしそうだった。私も障害を持つ子の親として、彼の気持ちはよくわかる。遅々として進まない彼らを、少し先に行っては大丈夫だろうかと待っていた。次は粥餅石で待った。その次は笹ノ平で待った。このように先に行っては待つことを数回繰り返し、その後は私の行程を考えて、先に進んだ。しばらくして5合目小屋に着いた。今は管理する人のいなくなった無人小屋の扉をを開けてみた。採光する窓はなく扉を閉めると中は真っ暗になる。子供は不安がらないだろうか、両親はここが無人小屋と言うことを知っているのだろうか、水は、食料は大丈夫だろうか。それよりも何よりもここまでたどり着けるだろうか。なぜあのとき一緒にいて力になってやれなかったのか、悔やまれる。私はいつでも登れるが、彼らは。何もしなかった自分が恥ずかしいのである。こんな思いもあり、これからは、もし同じような場面に出会ったら、もっと積極的に手助けをしてみようと考えている。

       

その後、静岡のボランティア団体だったと記憶しているが、新聞紙上で、車椅子に座った障害者を富士山頂にあげるため協力してほしい、と書かれた記事を読んだ。全国紙に掲載されたことでもあり、たくさんの協力者が集まっているだろうと思ったが、私も協力を申し出するために電話をした。このときは家族の方が電話口に出て、今は本人がいないのでまた後で電話して下さいと言われた。後日電話をかけ直し、結局3度目で本人につながり話したところ、富士山に車椅子ごと持ち上げるためたくさんの人手が必要で協力してほしい、後で連絡すると言われ、住所と名前を告げ電話を切った。その後いつになっても連絡は入らず、その年の夏は過ぎた。ボランティアといってもこんないい加減なところもあるのだなと認識した。

平成14年に茨城県内にあるハンディキャップを持つ人たちを応援するグループ「自歩」に入会した。障害者の歩行の手助けしようというもので、この8月に安達太良山山行があったが、私はかねてから申し込んでいた日本赤十字社の救急救命講習会に出るため参加できなかった。今後はこれらの行事に積極的に関わっていきたいと考えており、その報告をここに掲載したいと思う。

私は日立市内にある山を歩く会の会員の一人です。茨城県内を始め、近県での山歩きをしてみたいと考えているハンディキャップを持つ人や、その人達を支援するグループで人手が欲しい場合には連絡してください。会員に呼びかければ協力できるかと思います。


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