県連冬山スクール・那須朝日岳(1896m)
平成12年3月4日〜5日


 今回県連の山行に初めて参加し、冬山でのテント泊という貴重な体験をすることができた。
 土曜日の朝8時に那須の大丸温泉に集合した我々参加者はおちこち山の会、茨城山遊会、取手山の会それにのんびりから川本さんと私の総勢17人である。参加者17名を3班に分け班毎にリーダーとサブリーダーをおいた。川本さんは1班、私は2班である。また今回の山行では、ルートを一般コースと登攀コースの2つに分けて行動する予定で、私は登攀コースを希望していた。しかし行動前の確認で、登攀コースは希望者が少なくまた落石の恐れがあるため、ヘルメットを用意していないとダメと言うことで、全員一般コースを歩くことになった。

 共同装備を運ぶためのことを考え45リットルのザックには、私個人の荷物は極力少なく、シュラフと雨具、コッフエル、防寒用のセータ1枚、厚手の靴下3足、それに革手袋と毛糸の手袋をパッキングし、シュラフの下に敷くマットはザックのサイドにくくりつけた。出発前共同装備を全員で分担し、私は酒、ザイルなどを受け持った。冬山テント泊の為(もっとも多くは宴会用の酒と食材ではあるが)、共同装備は女性といえかなりの重量となる装備の分担であり、川本さんのザックもずっしりと重くなっていた。

 前日の天気予報では曇りのち雨の予報が出ていて心配した。駐車場からすぐ雪上の歩行となったが、全員 アイゼンを着けずに登りはじめた。標高が上がるにつれ多少の雪がちらついたが、視界も程々で周りの那須連山はもとより、日光連山も見渡すことができた。ほどなく前方に峰の茶屋、右手に朝日岳を見渡せる場所に着いた。すぐ前に朝日岳に向かう急斜面をトラバースした人の、踏み跡が雪の上にはっきりと確認できる。リーダーの大月さんの話では、峰の茶屋から朝日岳に向かうトラバースは雪崩が多く、過去死者を出しているとのこと。見たところ斜面の傾斜こそ急であるが、それほどの広さはなく、蓄積されている雪の量もさほど多くは感じないので、このことを知らなければ、もし私一人かあるいは他の人を引き連れていても、意識することなくあの踏み跡のごとく同じ所をトラバースしていたかも知れない。私はなぜか生々しくしばらくトラバースの踏み跡を眺めていた。右手朝日岳方面を見ると、山頂に向かう沢のガレ場を7〜8人の登山者が登っているのが見えた。最初私が希望した登攀コースではここを登る予定だったようだ。登りたかった〜。とは言っても不十分な装備でのルート選定や、重大事故の可能性のあるコースを歩くわけには行かない。リーダーの判断で峰の茶屋まで登らず、手前でガレ場を一度下り、すぐ登り返して雪崩の危険のある斜面の先へ出て、雪崩を回避できるコースを選んだ。積雪はさほどではないが、結構急斜面で注意して歩かないと、ズボッと深みに足を突っ込んでしまう。途中急な登りで一人の女性の足がつり、不調を訴えた。このため彼女の荷を少し分担することになり、食料とアイゼンを分けあった。今回の参加者の5人の女性の中でも川本さんは積み上げた荷の重さや、山行する姿勢など所属する会の名こそ「のんびり」ではあるが、心強く感じられた。リーダーの大月さんが写真を撮っている間、川本さんが時には先頭を歩いていることもあったようだ。
クサリのある岩場を通り朝日岳に登り着いたとき、山頂には千葉県から来たという中高年のグループがいた。先ほど我々が下から朝日岳を見上げたとき、沢のガレ場を登っていた人たちだった。互いに写真を撮りあい別れたが皆元気な人たちで、これから今夜の宿となる温泉に向かう、と楽しそうに話していた。

 それからまもなく熊見曽根分岐を越え、三本槍岳や清水平を見渡せる展望の良い場所に着き、そこで適当な斜面にテントを設営することになった。2班と3班はほぼ同じ位置に、またその20mくらい下側に1班ともう一つの3人用の小さなテント計4張を設営した。テント設営後各班毎に食事をとる。我々2班は男性4人、女性1人で、食事といってもどっさりと持ち上げた酒、肴を広げての宴会である。日本酒、ビール、ウィスキー、焼酎そしてワインと次々にあけ、話も弾み、うわさには聞いていた県連山行の夜の宴会も些細なことを除いて、楽しく過ごすことができた。やがて2班の宴会も峠を過ぎ、もう寝ようかということになった。私は成り行きで女性2人と私の3人で、下の1班の隣の3人用のテントを共にすることになった。さんざん呑んだ後のテント移動であり、はっきりしない意識のまま寝袋だけ持ち込み、他のものは忘れてしまった。このためテントの中に薄手のアルミシートは敷いているものの、シュラフの下に敷く個人用のマットは上のテントに置き忘れ、Tシャッの上に綿のシャッを着て、そのままスリーシーズン用のシュラフにもぐり込んだ。酒の勢いも手伝ってすぐに眠り込んだようだ。

 夜半過ぎまだ真っ暗い中、目が覚めた。テントの中も外も何も見えない。ものすごい風で、テントのフライシートがバタバタと大きな音を立て、狭いテントの中に大きな騒音となって響いてくる。寒い。氷点下の冬山としてはあまりにも軽装のため寒い。しかし眠れないほどの寒さではない。
過去に1度、10月の初冠雪した山で野営をし、低体温症と思われる異常な体温の低下で、身の危険を経験したことがある。そんなこともあり、私は寒さに対し抵抗力をつけるため、普段の山行でもできるだけ薄着を心がけている。良い悪いはともかくとして、このことが多少なりとも寒さに強い身体を作り上げていることと思う。

   トイレへ行こうと真っ暗い中起き上がり、テントをあけようとファスナーを探したがわからない。あきらめて寝ようとするが風の音、尿意それに寒さが加わりとても寝ていられない。再び起き出してファスナーを探す。またあきらめてシュラフに戻る。そういう状態を何度繰り返したことだろうか、真っ暗だったテントが少し白み始め、そのうちテントの出入り口が確認できるようになった。チャンスとばかり、再び起き出してファスナーを開けようとしたが、噛んでしまったのかなかなか開けることができない。冬用のテントのためファスナーはインナーとアウターがある。このファスナーを開けるのにまた何度か起き出したり、諦めたりの繰り返しをした。やっとの思いでファスナーを開けると、今度はその外にあるテントへの出入り口となる、丸い通路部分をふさぐひもが、強風を受けて複雑に絡み合い、なかなか解きほぐすことができない。外はうっすらと明るくなったが、絡み合ったひもをはっきりと確認できるほどの明るさではない。ここでもだいぶ悪戦苦闘を強いられた。この間、同宿の女性はテントのファスナーを開け放し、なにやら怪しげな行動をしている私の後ろ姿を、どのくらいの時間私の背後から、いぶかしげに見ていたことであろうか、そのうちに何をしているのと声を掛けてくれた。ヘッドランプを貸してというと、就寝中ず〜っと自分の頭に着けていたヘッドランプを外して貸してくれた。私はヘッドランプも当然のように上のテントに置き忘れてきたのである。やっとの思いで外に出たとき、だいぶ明るくなっていた。外に出て真っ白い雪の上に放った小便の爽快感を今でも思い出す。

  上の二つのテントを見てみるとなんとぺしゃんこにつぶれていた。それほどのすごい風なのだ。テントに近寄り声を掛けてみたが応答がない。ひょっとしたらなどと不吉な予感が脳裏をかすめつつ、あまりの強風と寒さのためすぐ下のテントに戻った。しばらくして隣の1班のテントでは食事が始まったようだ。上の2班と3班のテントを見ると相変わらずつぶれたまま。そのうち同宿の2人の女性は寒いからと言って、1班のテントに移って行ったがすぐ私も誘われ、1班のテントに移動した。ここで、他のテントはつぶれて使えないので食事は交代で1班のテント内で取ることになった。私がこの強風下での今後の行動を大月さんに尋ねたところ、とにかく全員が食事をとり、その後すぐ出発するとのこと。気象情報を確認しつつも、はっきりとした天候の回復が期待できないのであれば、ここで停滞していてもしょうがない、今は全員無事で帰るのが第一といい、当初の予定だった三本槍岳、それから那須岳などの登山は全て中止し、このまま下山するとのこと。また、この天候では長時間の行動になるかもしれないので手袋は2枚、目出し帽を着用し凍傷には十分注意することといわれ、緊迫感を感じる。このため私は持ってきた靴下3足全てを履き、手袋も2枚重ねた。このため靴はだいぶ窮屈になっていたが、凍傷になるよりはと考えると苦にならなかった。登山靴は多くの人がプラスチック製で、私を含め革製登山靴を履いていた人は少なかったように思う。プラスチック製は私も過去にスキー靴をはいていたが、あれは濡れることはないだろう。私は全然手入れのされていない革製の靴で、昨日の行動中は指先が冷たく、靴の中で足の指を動かし、たえず指先の感覚を確認しながら歩いていた。革製の靴は防水性、保温性に優れているというが、手入れをしなければ何にもならない。

  全員食事を済ませ、テントを撤収し、出発する頃は11時を過ぎていたと思う。気温は氷点下だろうか。ピッケルに着いた雪が風に流された状態でがちがちに凍っていた。しかし山を覆う雪は凍ることはなくさらさらの状態である。全員アイゼンを着けての下山となった。先の人の踏み跡を確認しながら慎重に歩くが、それでもズボッズボッと深みにはまり、時には片足がすっぽりと入ることもあった。相変わらずの強風ではあるが心配した岩場の凍結もさほどではなかった。雪崩の起きやすいトラバースは避け、峰の茶屋手前のガレ場を登り、小ピークから稜線上を峰の茶屋に降り立った頃には、風も多少やわらいだ感じになり、日差しも穏やかになっていた。閉鎖されている峰の茶屋で全員アイゼンを外した。しかしこの先は雪こそ少ないが、しばらくの間雪の凍結した道が続き、滑りやすかった。このころには雲間から日差しも感じられ、少し前のあの強風が嘘のような、快適な冬山の下山道となっていた。まもなく4月には閉鎖されている道路も開通し、那須岳山頂に通じるロープウェイも運転をはじめることだろう。今は閉鎖されている道路の雪が溶けはじめ、舗装道路に流れ出していた。
すぐに今回の山行の出発点となった大丸温泉に着いた。全員元気で、各自が今回の山行の感想を述べ、解散したのは午後2時を少し過ぎていた。
帰りの車中で川本さんが、あの強風ではあれが私の精一杯と言うようなことを言っていた。私も過去安達太良、巻機山など強風下の経験があるが、今回は冬山という条件も加わり、ひとときも気を緩めることのできない山行だった。

 私はこれからも雪山の一人歩きではテント泊をしようとは思わないし、まして例え夏山でも岩稜を登攀する山行スタイルは望まない。特に岩稜登攀は高所恐怖症の私には望むべくもない。しかし優れたリーダーのもと、より困難な経験をしておけば、これからの山行に必ず役立つと考え今回参加した。雪山は天候に恵まれれば無雪期には得られない素晴らしい山行となり得る。しかし、無風で快晴の素晴らしい雪山を楽しく歩くのが目的ではなく、冬山の厳しさを経験をしたいと考え参加した私には、他の参加者には申し訳ないが、天候の悪化など困難な条件を密かに期待していたのである。
 今回の冬山テント泊山行では新たな体験をして、山に対する私のフィールドを広げたと思う。またリーダーの大月さんと接したのは短い時間ではあるが、経験、知識ともに優れたリーダーであり、おちこち山の会、茨城山遊会そして取手山の会の人たちとの出会いは楽しく、得ることがたくさんあった。