飯豊連峰縦走 

地蔵山(1485m)・三国岳(1644m)・種蒔山(1791m)飯豊本山(2102m)・御西岳(2013m)・大日岳(2128m)
山行日 平成12年11月3〜4日小屋泊縦走
11月3日(金) 飯豊鉱泉〜御沢登山口 (3:30→) 地蔵山(1:30→) 三国岳(2:00→)切合小屋(0:20→)草履塚(1:40→)飯豊山神社(0:15→) 飯豊本山(1:30→)御西岳(1:30→) 大日岳(1:10→)御西小屋 
   ( )内は参考コースタイム

 3日午前2時05分自宅を出発。日本のはるか南で発生した台風も、日本に近づくにつれ低気圧に変わり、九州から北東方面に進み、昨夜遅く太平洋に抜けたようだ。雨は上がっているが、雨に濡れた路面がヘッドライトの明かりに白く浮かび上がる。台風の名残で風は強い。磐越道の会津坂下で高速を降り、飯豊鉱泉ルートの登山口のある山都町をめざす。車を走らせながら、山都(さんと)町とはどこかで見覚えのある町名だな、JRのコマーシャルは確か三都(さんと)物語だったな、なんてことを考え続けた。やがて山都町の町並みを外れ、飯豊の山へと進み、飯豊鉱泉から6時15分登山口となる御沢キャンプ場に到着した。周囲は全山紅葉し、錦秋の世界を作り出している。雨上がりの空で、雲間に青空がわずかにのぞく。

 6時53分登山口を出発。登山口には飯豊連峰の案内板と共に、行方不明者のポスター。今年6月に入山した60代の単独登山者が下山せず行方不明となっており、もし発見したら警察に連絡を、とのポスターだ。今年の6月といえば、私も石転び沢から飯豊山を目指していた同じ月だ。

 登山道はブナなどの落葉広葉樹に杉が混じる快適な道を歩く。沢を流れる水の音と、小鳥の鳴き声がこれからの山歩きを期待させてくれる。すぐに急登となった。汗がどっと噴き出し、Tシャツ1枚になる。沢の音と落ち葉を踏みしめる音のみの静寂の世界。小雨がちらつき始め周囲はガスで覆われる。登山道にはブナの落葉。それでも木には沢山の黄色い葉を蓄えている。もみじの赤や黄の紅葉、うるしのひときわ鮮やかな赤。

 この辺の登山道は下十五里、中十五里、上十五里、笹平そして横峰とガイドブック通り各ポイントには標識が立てられており、次の目標と距離がわかり歩きやすい。途中中年の夫婦連れに会い、追い越した。まもなく地蔵水場道の標識があり、右に地蔵小屋跡、左に水場を経て剣ヶ峰と書かれていた。水は3.5リッターを詰めてきているので十分ある。地形図を見てみると水場方面の道は書かれていない。ここはガイドブックのコース通り、右の地蔵山方面のコースを取った。この道はV字形にえぐられており、両側からネマガリタケが伸びている。雨に濡れたネマガリタケをかき分けながらの歩きで、非常に歩きづらく、全身びしょ濡れとなった。しばらく歩き、地蔵小屋跡を示す取り壊された小屋の廃材が重ねられた場所へ来た。ここを過ぎると小さな草地で、右前方に標識が見えた。標識には右手進行方向にのみ、大日杉小屋と書かれていた。地形図を確認してみるが、持ってきた地図には書かれていない。左側に道らしきものが見えるが、飯豊方面への道ならば当然メインルートであり、それなりの表示があるだろう。ここは右寄りの道を選択した。すぐに小さなお地蔵さんの置かれた、小ピークに着いた。ここが地蔵山の山頂か。ここを過ぎるとすぐ前方の見渡せる下り坂となった。このように先の見通せる道は、地図上で現在地を確認できる一つの大きな要素となる。おかしい。本来の進行方向と90゜違っている。先ほどの標識まで戻り、周りをじっくり見回してみた。すると進行方向左手の草の生い茂った所に三国小屋と書かれた標識の一部が腐って落ちていた。これで納得できた。ここは左折すべきだったのだ。

 道は剣ヶ峰から三国小屋に向かうごつごつした岩場の登りとなる。ここで先ほど追い越したはずの夫婦連れに再び会った。最初は別人だと思った。彼らもだいぶ前に先に行っているはずの私を見て、怪訝そうな顔をしていた。聞いてみると彼らは先ほどの地蔵水場道の分岐を、私とは逆の水場から剣ヶ峰の道を取ったのだ。私が歩いた地蔵小屋跡の道は最近では積雪期以外ほとんど登られておらず、地蔵山をトラバースするように作られたこの登山道が近くて歩きやすいと言っていた。
三国小屋、種蒔山と歩いた。道はとうに森林限界を過ぎ、低木の樹林帯となっていた。木々は豪雪地帯地帯特有の谷川に曲がって伸びている。低木は葉を落とし冬支度をし、ナナカマドの実だけが真っ赤に目を引いた。一時視界がよかったが、再びガスが発生し霧雨となる。晴れていれば最高の展望であろう。前方に小屋が見えた。手前の小ピークは花崗岩の崩落したザレになっており、いくつかのケルンが積まれていた。

 10時48分切合小屋着。この小屋にも行方不明者のポスターが貼られていた。昨年の11月だからちょうど1年前この山に入り、そのまま戻っていない41歳の男性で写真入りのポスターだ。
雲間に青空と太陽が眩しい。霧が少し晴れ、雄大な展望の一部が見られる。小休止後出発するときには、再び青空は消え、ガスで覆われていた。登山道は草履塚と名付けられたピークに着いた。ここにはケルンの脇にわらじが置かれていた。目の前にガスで覆われた飯豊山の一部が見える。斜面はびっしりと草紅葉で覆われ、道には沢山の動物の糞が見られた。この糞からナナカマド等の実を食べている様子がうかがえる。やがて姥権現という赤い帽子と前掛けをまとったお地蔵さんが岩の間に置かれている場所に着いた。この赤い帽子と前掛けはガイドブックの写真では赤ではなく白だった。権現とは仏様が人々を救うため、種々の姿をとって現れるとされるものであり、この姥権現は仏様が老婆に姿を変えて、人々を見守っていると言うことであろう。普通お地蔵さんは子供や端整な顔立ちをしたものが多いが、ここはそれとはほど遠いいかにも老婆という雰囲気の漂う権現様だ。

 この時期にも高山植物の花が咲いていた。薄紫色の花で後で図鑑で調べるとこの花はタカネマツムシソウだ。この花は飯豊山と北アルプス北部で見られる花で、花期は8月と書かれている。また別の本ではマツムシソウの花期は8〜10月と書かれている。自然環境の厳しい東北の高山では遅いのかも知れない。

 道は御秘所と呼ばれる片側がスッパリ切れ落ちた岩場を登るが、高所恐怖症の私でも難なく通過できた。ここからまもなく一王子と呼ばれる広場に出た。ここには少し下ると水場がある。ここは地形的に吹き溜まりとなるらしく雪が残っていた。進行方向左手斜面、ガスで覆われて見えないがザーザーという大きな音が聞こえる。風か、それとも滝か。地図で見ると大きな沢はない。

12時32分飯豊本山神社に着いた。ここには本山の鐘と書かれた鐘があり、軽く打ってみたが、静寂に包まれた中、澄んだ大きな音が出て、小屋で寝ている人はいないかと気を回した。時折日が射して、前方に飯豊山がくっきりと見える。その左側には御西岳。12時50分飯豊本山山頂着。雲間に青空がのぞくが、ガスの動きが早い。左側にピークが二つ。その後ろに御西岳だろう。ガスで山頂が見えない。2つのピークの南側斜面には大きな吹き溜まりとなって、まだ沢山の雪が残っている。万年雪であろう、何とも雄大な姿だ。山の下側は両側ともガスで覆われているが、進行方向稜線上はハッキリと見える。

 写真で見た雄大な山を一人歩く至福のひととき。左手すぐ下の草紅葉がびっしり生えているところに、小さな池塘がいくつか見える。池塘は真っ青な水をたたえている。万年雪と池塘の、バランスの妙とでも言うのだろうか、すごく絵になる風景だ。御西岳までの間にいくつかの雪渓があり、これが溶けだして沢を下り、先ほどのザーザーという大きな水音となって聞こえたのだ。この雪解け水は霧の発生する原因にもなっている。やがて御西岳に着いた。辺り一面黄色の草地。そこから少し下った鞍部に御西小屋があり、2時ちょうどに着いた。近くに見えるはずの大日岳は今年6月の山行時と同じくガスで覆われている。時間は2時。予定外だがこのまま大日岳まで往復できるか。この空では何時まで安全な視界が確認できるか。ガイドブックのコースタイムでは往復2時間40分。時間はぎりぎり。しかし今日往復してしまえば明日が楽だ。行こう。いつでも戻るつもりで。ザックを御西小屋に置き、地図とコンパスだけの空身で出発した。

 2時54分大日岳山頂。ガスで視界がきかず、すぐに引き返した。3時42分御西小屋着。雲海から突き出た磐梯山が凄い。今夜の御西小屋には2階には地元新潟から来た中年男女4人で山仲間とのこと。鍋をつつき、酒を飲みながら遅くまで談笑していたようだ。1階には地元福島から来たという30代の人と、やはり地元から写真が好きで、積雪期の飯豊も何度か来ているというという人、それに私の3人だった。彼は冬の飯豊はラッセルばかりで大変ですよと言う。2人は早々と寝たようだ。外に出てみた。頭上には満天の星。まだまだ日本でも場所によってはこれほどの星が観測できるのだなあと感心した。子供にも見せてやりたい。すばらしい星空で明日の天気を期待させる。
 外はだいぶ冷え込んできた。小屋に戻り、ウィスキーを飲み、するめをかじりながら今日の一日を振り返っているうちに、いつしか眠り込んだようだ。


11月4日 (土) 御西小屋(1:30→)飯豊本山 (0:15→) 飯豊山神社 (1:10→)草履塚(0:15→) 切合小屋(1:30→) 三国岳(1:15→) 地蔵山(1:50→) 御沢登山口

 朝起きてみると小屋前のバケツに分厚い氷、周囲には霜柱がびっしり。地元の人の話では、ここも先週に初雪が降ったとのこと。
 雲一つない空に雲海、最高の山歩きになりそう。そして眼前に大日岳。今日の大日岳は目の前にくっきりとそびえ、もし山頂に人がいれば大声出せば届きそうな感じさえする。       
 
 7時20分御西小屋を出る。小屋近くの水場には旨い豊富な水が出ており、たくさん汲み、ついつい荷を重くしてしまう。今日は昨日来たコースを戻る縦走の往復となる。たおやかな御西岳の尾根から2つのピークを過ぎ、すぐに飯豊本山に着いた。山頂には16〜7人がいた。飯豊本山小屋に荷を置き空身で来る人が多い。360゜の展望で朝日連峰、吾妻連峰、安達太良、磐梯山それに日光連山。しかし近くに見えるはずの日本海に浮かぶ佐渡や粟島はもやで霞んで見えない。ここで周囲のパノラマ写真を撮ったりして大休止を取り、目の前の本山小屋に向かった。8時49分飯豊本山小屋着。これまで荷揚げをしている3組のパーティに会った。彼らは食料や赤い布を付けた竹竿などを山小屋に置き、これからの冬山登山に備えているのだ。

 10時3分切合小屋。途中登山者とすれ違い、「いい天気ですね、こんな日は一年に10日とないですよ」と言う。私にとってもこの1年で最高の天気で、上空雲一つない青空。周囲の山並みの低いところには真綿を敷き詰めたような雲海がびっしり。あの雲海の下の町や村はどんな天気なのだろうか。地蔵山をトラバースしたところにある水場には沢山の水が流れ出して、また荷が重くなるのもかまわず詰め込んでしまった。道は紅葉の森に戻り、ゆったりとした気分で木々や紅葉を眺めて歩き、御沢登山口に戻ったときは1時22分であった。

 帰りの車を走らせながら、そうか、この町名は山都(さんと)町ではなく、山都(やまと)町でそばのおいしい町だ、と1週間前に放映されたNHKの「小さな旅」を思い出した。それならば是非食べてみよう。その思いで立ち寄った2軒の店で、1軒目はそばは売り切れでご飯類のみ、2軒目は入口に「本日は売り切れのため店仕舞いさせて頂きます」と書かれていた。