槍ヶ岳〜穂高連峰縦走 
槍ヶ岳〈3180m)→ 大喰岳(3101m)→ 中岳(3087m)→ 南岳〈3033m)→ 北穂高岳〈3106m〉→ 潤沢岳(3110m)→ 奥穂高岳(3190m)→ 前穂高岳(3090m)
山行期間 平成11年7月16日〜18日 テント泊縦走
7月16日 上高地(バスターミナル)(0:55一)明神分岐(1:00一)徳沢(1:10一〉横尾(1:00一)一ノ俣(1:00一)槍沢ロツジ(1:40→)水俣乗越分岐点(2:10一)殺生ヒュッテ(0:40一)槍岳山荘(0:30一)槍ヶ岳(0:30一)槍岳山荘
   ( )内は参考コースタイム


   今回の山行は1ケ月ほど前からの計画で、この連休を利用してかねてから念願の槍、穂高縦走をと考えていた。

  梅雨時期の今、1週間前からテレビの週間予報、新聞の天気図、そしてインターネットで長野県松本地方の天気を確認し続けた。例年この時期、日本に停滞しているはずの梅雨前線は日本周辺にはない。しかし気象庁が梅雨明け宣言の目安となる、梅雨前線を押し上げての太平洋高気圧も発達していない。天気予報もむずかしい例年にないこの時期となった。このため今回の山行もぎりぎりまで模様眺めの状態となった。というのも、今回の山行は、槍ヶ岳から穂高までかなり難度の高い岩場の縦走路であるため、天候が大きな要素となってくる。

 不安定な天気が続く中、出発前日に槍岳山荘に電話を入れた。電話の声は「ずーっと霧雨状態が続いていて状況はよくない。」とのこと。これで今回の山行は中止との方向へ大きく傾いた。女房にも今回はやめるといった。
 
 当日の天気予報は、太平洋側では雨をもたらす雲が発生しやすく、不安定な天気だが、西日本側ではこの雲の影響は少ないと報じていた。
 もう一度槍岳山荘と念のため穂高岳山荘に電話を入れてみた。その結果、天気の予測は難しいがこの週末に向け予約は少しずつ入っている、との感触を得た。よし、行こう。すぐ新宿から上高地までの当日の直通バスを予約した。しかしこのバスも常磐線柏駅周辺での人身事故で、列車が1時間ほど遅れ乗ることができず、バス料金同額のキャンセル料を支払うことになった。結局、シーズン中だけ発車する23:50分発の「アルプス」に飛び乗り、新宿〜松本〜新島々〜上高地のおきまりコースで山に入った。    

 上高地にはこれで3度目だが、写真で何度も見た河童橋と梓川の清流、それをバックに記念写真を撮る人、ここは本当に絵になる場所だ。
 
 左手に高い山を見ながらしばらく梓川沿いに歩く。木の匂いが清々しい。突然進行方向にキジバト。ほとんど人をおそれていない。日立でもキジバトをよく見るが、たいがいは高いところで見かけるものだ。この後何度かキジバトを見るが、まるで飼われている鳩のようだ。

 明神、徳沢そして横尾とコースタイムより早めの快適な山歩きが続く。槍沢ロツジを過ぎ、しばらく歩いた頃、愛知から来たという90人の高校生の集団が降りてきた。最初は5人くらい見えたので道を譲り立ち止まつていたが、次から次と来るではないか。うんざりして引率の先生らしき人に尋ねたら総勢90人と言う。
 
 左手の山から水があちこちから流れ出して、沢に注いでいる。大曲りを過ぎると視界が開け、あちこちに雪渓、そして沢の水音。まもなく岩のごろごろした急登となる。長い歩きで足に疲労がたまり、休み休みの登りとなった。周りには高山植物がたくさん見られ、お花畑らしきところもあった。
 2つ目の雪渓をトラバースしたところで、槍ヶ岳まであと1.5Kの標識。前方を見ると槍沢ロツジが見える。しかし天候が急変し、冷たい風が吹き初め、山をガスが覆い始めた。北西方面に槍岳山荘と槍ヶ岳、そして東に三角錐の美しい山容の常念岳が見える。 

 ルートも傾斜を増し、もうあえぎあえぎ、休み休みの歩きとなった。それでも目の前に展開する雄大な槍ヶ岳に元気づけられ、登り続けた。やがて槍岳山荘に着いたが、すぐ目の前にあるはずの槍ヶ岳は、ガスで見えない。槍の穂先をめざして登っている人の声だけがはっきり聞こえる。それほどすぐ近くにあるはずの槍ヶ岳なのだ。

 幕営を申し込み、テント設営後槍の穂先に登った。足にすくみを感じ何度かここで引き返そうと思いながら、やっとの思いで頂上にたどり着いた。頂上には若い男女2人組がいた。展望はガスでゼロ。早々と引き返し、夕食を作り、持参のウイスキーをあおりシュラフに入った。


7月17日 槍岳山荘(2:20一)南岳小屋(2:00一)A沢のコル(1:30一)北穂高岳(2:40一)穂高岳山荘


 起きてテントの中から外を見る。ガスがすごく、昨夕周りに3張りあったテントが見えない。視界ほぼ5m。テントを撤収していると、一瞬ガスが引き、手を休め辺りに見入った。すぐ目の前に大きな山容。大喰岳だ。大きな雪渓が何カ所も見える。ガスと雲海、速くの青空、そして雲海を突き出してそそり立つ北アルプスの山々。何か神々しさを感じる。

 朝食の準備で水を使いきってしまい、槍岳山荘で水を分けてもらった。1リットル200円で1.5リットルを入れ300円を払った。槍岳山荘では一泊(朝、夕食付)で8500円、(朝、昼、夕)で9500円、(昼とはおにぎりのお弁当付き)そして素泊まりで5500円であり、ちなみに幕営料は500円であった。
 今の槍の穂先はガスが晴れて山頂まで見渡せ、たくさんの人が山頂を目指し、岩場にとりついているのが見える。アルプスは好展望、そしてあちこちに咲く高山植物とついつい足が遅くなってしまうが,3000mの稜線上は風が強くそして寒い。昨日はTシャツ1枚だが今日は長袖、そして防寒着を着込んだがすぐ長袖になった。

 8時19分、中岳山頂、ここは大喰岳以上の展望だ。高山植物に見入り、だいぶ時間がかかった。上空は厚い雲で覆われているが、視界は良い。あいかわらず槍ヶ岳と、そして穂高連峰のひときわ目をつく山容。北東方面から大天井岳、常念岳、蝶ガ岳、南に穂高の岩稜群、西に笠ガ岳、北西方面に双六岳、三俣蓮華岳、黒部五郎岳などなどの一大パノラマ。そして東側真下には昨日登ってきた槍沢の大雪渓、殺生ヒュッテ、ヒュッテ大槍も見える。

 中岳から南岳まで快適な稜線歩きが続く。稜線上は岩の間に土が挟まっているという感じで、その土にたくさんの高山植物が咲いている。だが上り下りの斜面では崩壊した大小の岩がゴロゴロし、コースは岩の上に白ペンキで示されているが注意していないとコースを踏み外してしまうことがある。
 花に見入り何度かコースを見失ってしまいあわてさせられた。森林限界をとうに過ぎたこの辺でもハイマツが成長している。
 南岳山頂では上空雲が多いが遠望でき、槍ヶ岳は今でも背後にはっきりと見える。先に来ていた人が「素晴らしい。素晴らしい」を連発し、盛んに写真を撮りまくっている。進行方向には北穂高岳、その山頂に北穂高小屋、すごいところに小屋が建っているものだ。北穂のすぐ右に奥穂高岳、その右に間ノ岳から西穂高岳、そして北穂の左側には前穂高岳が見られる。緊張感が走る。極度の高度恐怖症の私、だめだったら南岳まで戻りエスケープルートを通り上高地に戻ろう。

 山頂から少し下ると南岳小屋が見えた。しかしその背後に見える穂高の鋭い岩峰群。あんなとこ登れるのだろうか。緊張感がますます高まる。私は本当に高所には弱い。とにかく高所感を感じると生理的に足がすくみ、筋肉が硬直し動かなくなる。
 依然のんびりの山行で福島の佳老山に登ったことがある。ここは山頂近くに反対側がすっぱり切れ落ちた大岩壁がある。私はここに近づいただけで、動物的な勘が働き足がすくみ先へは進めなくなった。その中で石川さんなんか岩壁にたたずんでいる。(ように見えた)。私はこれ以来ああいう人たちと、私のような高所恐怖症の人間では、生物学上どこかで分類が違っているのではないか、と考えている。例えば石川さんたちは、生物の動物そしてヒトの中の、例えば鳥の遺伝子が含まれているとか、一度DNA鑑定ではっきりさせてもらいたいものだ。

 途中、60過ぎの男性2人組に会った。日帰り登山の軽装で、どこにでもいる酒を飲んで騒いでいるのが似合いそうな、関西弁を話す2人で、「がんばってますね」と声をかけたら、「もうやけっぱちですよ」といいながら、休み休み歩いていた。聞けば今日で北アルプスは4日日で山小屋を3食付きで渡り歩き、時間をかけ縦走しているとのこと、いろいろな人がいるものだと感心させられた。
 
 南岳小屋で小休止をとりすぐ出発した。大キレットまでの岩場は3点支持の急下降が続く。無事降りて稜線上でホッとしていると突然背後から「クウィーン」というような鳴き声。もしかしてと辺りを見回すとわずか10数メートル先に雷鳥。すっかり夏色に変わった雷鳥が岩の上に立っていたが、初めてみる雷鳥にしばし見入った。

 緊張の連続で大キレットを通過し、馬の背そしてA沢のコルと難所が続く。そのA沢のコルで再び、今度は目の前3mほどの所に、雷鳥がコース上の岩に体をこすりつけていた。どういった行動かわからないが、盛んに体をこすりつけていて、私を認識しているだろうがまるで逃げようとしない。ここでもしばらく観察していたが、いつまでも去ろうとしないので道をふさがれ今度は私が困った。思い切って歩き出したら、雷鳥は私の進行方向に、3mほどの同じ距離をとって歩き出し、まるで道案内でもするように10数m歩いてコース上を去っていった。

 この辺りは急峻な岩、手がかり足がかりは何とかあるが浮き石が多く十分な確認が必要である。やっとピークを越えたと思ったら次々とピークが現れる。緊張感の連続。目の前に大きくそびえる北穂高にはガスがかかってきた。とにかくすごい急な岩の登りで、3点確保の連続と今まで経験したことのない高度感、行動中は少しも気を許すことのできない緊張感の連続で、休憩が多くそのたびに水を飲み残り少なくなり心細くなった。こんなことなら槍岳山荘では水を2リットルにすればよかった。今までミネラルウォータさえ買ったことがなく、水にお金を払うなんて考えたこともなかった私で、別にケチったわけではないが、重量を少しでも軽くしようと考えた結果の1.5リットルだったのだが、今になって後悔した。

 この行動中、緊張が切れそうになりもうやめようかと真剣に考えた。十分な休憩をとり、冷静になって考えた。このまま戻ると先ほどの馬の背、そして大キレットがあり、再び緊張感を強いられる。まだがんばろう、とにかくがんばって北穂高まで登ろう。それからエスケープルートと考えていた涸沢に降り、上高地に戻ろうと考え直し、再びアタック開始。そんなとき見上げると突然小屋が見えた。先ほどまであれほど遠く高く、私を寄せ付けなかった小屋がはっきり確認できるまで近づいていた。ゆっくり休んで水を思い切り飲んだ。そういえばこの水は槍ヶ岳の雪溶け水で冷たくて旨い、最高の水だ。リッター200円なんて安すぎると思えた。

 北穂高岳山頂にある北穂高小屋で昼食にした。山での私の定番のレトルトご飯とラーメンだ。ここで水2リットルを分けてもらい、腹を満たし休憩をとるうちに、やめようと考えていたこれからの縦走を続けてみようという気になった。
 
 山頂からの視界はガスが濃く周りに山があることさえわからない。休憩後涸沢岳に向かって再び縦走開始。北穂山頂からすぐ下りにかかり、雪渓が見えその下に涸沢、そこで沢山のテントが確認できた。

 今日は週末で上高地から入山し、涸沢を拠点に槍、穂高に登る人たちだろう。途中男女4人組に出会った。40代の男性リーダーに30代の男性、あと女性2人は、のんびりの平均的なおばさん風。昨夜は私と同じく槍ヶ岳のキャンプ場で野営をしたという。リーダーが今日もビールが旨そうですねと言う。昨夜のテントでは持参のウイスキー、そうだ今日はビールを買おう。いくら高くてもやはりビールだ、などと考えにやにやしてしまう。

 北穂から少し下ったところに涸沢と奥穂高方面に分岐する標識があった。ここで私はなにを考えていたのか、あるいはなにも考えていなかったのか(おそらく後者であろう)、涸沢の方に下ってしまった。小ピークを巻きながらしばらく下って右上を見上げたら高い山々の稜線が見える。おかしいと思いつつなおも下ると涸沢のカラフルなテント場が見え、前方から5〜6人くらいの女性組が登ってくる。ここまで下ってこの先、前穂高への分岐はない、道を間違った。このまま涸沢へ下るか、上高地はすぐだ。しかしやはり予定通り縦走は続けようと考え、今来た道を戻った。なんて馬鹿なロスをしてしまったのだろうと深い自己反省をしながら、あえぎあえぎ登り返した。少し戻ると上方に先ほどの標識が見えその少し上を、先ほどの男女4人組が登って行くではないか。あれがそうだ。あの分岐を間違ったのだ。あの分岐までまだだいぶあるが、何とか追いつきたい。
 分岐点の標識まで戻りよく確認した。3方向を指示する標識は、北穂高、涸沢そして奥穂高と書かれてある。これからの山は涸沢岳から奥穂高と頭にあったので、私は涸沢という文字をみてそのまま進んでしまったのだ。涸沢岳への登りはあの南岳から北穂へのルートに比べるとだいぶ楽な気がする。

 涸沢岳にかかる最後の急な登りで三たび雷鳥に会った。この雷鳥は下半分の毛が白く、まだ完全に夏鳥になりきっていない雷鳥だ。これまで雷鳥はなかなかみられない鳥だと私自身考えていたが、こう頻繁に目の前で見られるなんて、私はたまたま幸運だったのか、それともこの山では当たり前のことなのか。
 
 この辺も浮き石が多い。急な登りもだいぶ進んだ頃、不覚にも落石を起こしてしまった。赤ん坊の頭くらいの大きさで、幸い人のいない方向であったが、谷底に吸い込まれるようにいつまでも続く石の音に、薄気味悪さを覚えた。

 5時10分奥穂高手前の穂高岳山荘のキャンプ場に着いた。テント場は40張りくらいあるだろうか、ほぼ満杯で、私は小屋から離れた涸沢岳まで戻った所にテントを張った。すぐ脇にヘリポートが見える。山荘で缶ビールを買った。テントを設営し、2日間の縦走を終え、これで明日は目の前の奥穂から前穂を登り、あとはひたすら上高地に向かって下るだけ、それほどの難所もないだろうと安堵感が全身を包んだ。ここでビールを一気に飲みたいところだが、チビリチビリと時間をかけて楽しんだ。旨い、とにかく旨いビールだった。
 山を夕闇が包む頃小雨が降り出した。7時30分頃シュラフに入った。


7月18日 穂高岳山荘(0:50一)奥穂高岳(1:10一)紀美子平(0:30一)前穂高岳(0:20一)紀美子平(2:40一岳沢ヒュッテ(1:30一)最後の水場(0:20一)河童橋

 夜半過ぎ雨や風が激しく、時折テントが激しく揺れ、ほとんど眠れずに一夜が明けた。小雨がまだ降り続いている。時計を見ると4時ちょっと過ぎ。外を見ると周りのテントではまだ人の動きはない。昨日すぐ目の前に見えた奥穂がガスで全然見えない。ラジオをつけるとタイミング良く天気予報が始まっていた。感度が悪く聞き取りにくいが、今日は沖縄と北海道を除き、ほぼ全国的に雨の予報。明日も雨でおまけに台風も発生、なんてことをアナウンサーが言っている。どうしようかと不安になりこれからの行程を考えた。奥穂から前穂に登り、上高地に下る。目の前にある奥穂そして前穂はこれまでと同じ、岩稜帯で仮にこの雨の中登るとなると、これまで経験のない私だが大丈夫だろうか、今日この山に入っている沢山の人たちは、雨の中は危険だからといって、山小屋やテントの中で過ごすのだろうか。しかし多くの人たちが限られた時間の中で、登山を楽しんでいるのであろう、とすればこの雨の中でも行動し始めるだろうと考え、周りの様子を見ることにした。 5時頃少し離れたテントで雨具に着替えた2人がチョロチョロテントを出入りしているのが確認された。しかしなかなかテントを撤収する様子がない。そういう状況観察をしばらく続けているうち、「いた」。いままさに小屋を出てこれから奥穂の岩にとりつこうとしている、カラフルな雨具を身につけた4人組が確認できた。これを見て飛び起きた。私も行動開始だ。小雨の降り続く中、素早くテントを撤収し、小屋で水1リットルを分けてもらった。

 奥穂へのルートは小屋の前からいきなり3点確保の必要な岩場の登りとなり、登り口には先ほどテントの中から見た4人組とは別の4人組と40歳前後のソロの男性が順番待ちをしていた。この4人組には女性2人が混じり岩場を登るのに苦労していた。私もこの4人組に続きソロの男性と岩場を登り始めた。適当に登ったところで4人組が先を譲ってくれて、私はもう一人の男性と2人でしばらく行程を共にすることになった。彼はここまで槍から北穂そして奥穂と、私と同じルートを歩いてきた人で、私が昨日雷鳥を3度見たと言ったら驚いていた。彼の話では雷鳥は最近では見かけることが少なく、NHKでも取り上げていた。その雷鳥を1日に3度も見られ、彼も同じコースを歩いていたのに1度も見られなかった、とくやしがっていた。また彼は北海道の羅臼岳に登ったときのことを「羅臼はいいですよ。自然が沢山残っていて、なによりも高山植物の時期のお花畑、これがすごい」などと話していた。彼は1回の山行で山岳風景や高山植物の撮影で、フィルム15本くらい使い切ってしまうほどの写真好きだとのことである。

 奥穂から前穂に向かう岩肌に作られた細い道を歩いているとき、突然後ろでガラガラと音が聞こえ、ハッとして後ろを振り返ると急斜面の下に身を落としながらも、コースの縁の岩にしがみついている彼を見た。浮き石を踏んでバランスを崩し谷側に倒れたとのこと。ほとんど岩だらけの急斜面であのまま落ちていたら、と考えるとゾーツとする。彼も青ざめた顔をしていた。この後すぐ前穂高岳に着き休憩後、私は彼と別れ先に行くことになった。

 前穂からの急降中、登ってくる中年男女の4人組に会った。なぜか今回は4人組が印象に残る。彼らは今朝、岳沢山荘から登ってきたと言う。急登の連続で疲れて休んでいるようである。彼らの顔を見ると登り初めにはさぞかしピーピーキャーキーと賑やかだったろうと思われる。が徐々に疲れがでてくると無口になってくる、そんな様子が伺える。そんな彼らに「前穂まであとどれくらいですか」と聞かれ、歩く様子が分からないためかなり多めの時間を言っておいた。これから前穂そして奥穂の小屋まで、彼らには大変な行程だがこのまま歩き続ければ、今夜は山小屋でビールでも飲みながら大笑いしていることだろうと思えた。
 
 だいぶ下ったであろう斜面にはそれとすぐにわかるコバイケイソウの花が咲き始めていた。またダケカンバやナナカマドの低木の木が目立ち始めた。高度が下がり森林限界から森林帯に入ったようだ。

 やがて岳沢ヒュッテに到着。ここで1個300円なりのトマトを食べた。小さな真っ赤に熟れたトマトでこの3日間野菜をとっていなかったので、今までで1番おいしいトマトを食べることができた。もうあと2時間も歩けば上高地だ。
 しばらく歩くうちに3日前に最初に歩き始めた樹林帯と同じ高木の針葉樹林帯に入った。足にだいぶ疲労が蓄積されてきている。天候不安定な中、岩稜帯を歩くということで何年かぶりに履き慣れない靴を履いたせいか、靴擦れがあちこちできてかなり痛い。しかし長い岩場の急降で膝にかなりの衝撃が加わっているだろうが、膝が笑ったり、痛みはない。これも今年から始めた大腿四頭筋の強化が功を奏しているのか。

 突然目の前に舗装道が現れた。上高地に着いたのだ。沢山の観光客が散策していた。彼らは全員が傘を差し、革靴や運動靴姿で、大きなリュックを背負った登山姿の人はいない。今日まで3日間過ごした山の中と比べなぜか場違いの気がする。山の中にいるとなぜか仲間意識のようなものが芽生えてくるが、こうして山を下り一人一人を見ると、当たり前の話だがすべて他人なのである。自分も同じ世界に戻ったのだ。そういう不思議な感じを起こさせる今回の山行であった。

 歩いていて老夫婦に「明神池はあとどのくらいですか」と聞かれた。周りに沢山いる観光客に開かず、私の所に近寄ってきて聞いたのは、山姿の私なら知っているかも知れないと考えたのだろう。しかし私も知らず教えてあげることはできない。彼らと別れほんの少し行くと、明神池まであと3Kの標識があった。元気な私なら走って戻り、先ほどの老夫婦に教えてあげたいところだがその元気もない。

 河童橋では中年の男たちが「ここは河童橋だ。河童巻きじゃねえぞ−」などとはしやぎながら記念撮影をしていた。
 この後上高地バスターミナルから13時発のバスに乗り日立に戻った。

今回の山行で確認できた花
 イワオトギリ、イワペンケイ、ウメハタザオ、イワツメクサ、ハクサンイチゲ、コメバツガザクラ、ニツコウキスゲ、コケモモ、ミヤマキンバイ、ミヤマダイコンソウ、ミヤマオダマキ、キバナシヤクナゲ、イワウメ、ミネズオウ、コイワカガミ、アオノツガザクラ、ミヤマキンポウゲ、チングルマ、タカネヤハズハハコ、タカネスミレ、イワオウギ、ヒメクワガタ、ハクサンボウフウ、ミヤマタンポポ、ミヤマリンドウ、ツガザクラ、ミヤマシオガマ、ミヤマクロユリ、イワヒゲ、イワハゼ、ゴゼンタチバナ、クルマユリ、シナノキンバイ、ウラジロナナカマド、コバイケイソウ、ハクサンフウロ