茨城のヤブ山歩き (No.6)  峯山 (32.6m) 

2万5千分の1地形図「常陸太田」   日立市 平成14年12月8日

 日立から国道6号を走り、石名坂を過ぎて293号線で常陸太田方面に向かう。日立電鉄線小沢駅近くから県道157号に入り里川を渡る。橋を渡るとすぐ右手にこんもりとした山が見える。山というよりたんぼの中の小さな丘陵地という表現が適切であろう。道路沿いに車を止め地形図を確認してみる。地図上で東西に延びる丘陵地は、道路からピークまでの等高線が3本。等高線が3本ということはピークが32.6mであるから等高線の示す高さは上から30m、20mそして10mとなる。故に登山口ともいえるこの道路の標高は10m以下となろう。道路からすぐ石段で、登りきったところに神社があり、ピークはこの神社の先である。神社入り口に駐車場があるが、隣接する民家の駐車場にも見え、途中の道路脇に車を止めた。 

 11時42分神社入り口。鳥居には「五十部神社」と書かれているが、鳥居脇には石に「熊野鹿島神社」と刻まれていた。石段を登る。両側には杉の木。こういう場所には樹齢何百年などという杉の古木や巨木をイメージするが、ここの杉はそういう表現が似つかわしくない樹齢100年にも満たないほどの杉の木である。竹林も混じり鬱蒼とした感じにはほど遠いが、今日はどんよりとした曇り空のため、薄暗くそれなりに雰囲気を盛り上げる。たんぼと住宅に囲まれたこの地は、車の音がよく聞こえるが、こういう中は異空間で気持ちが引き締まる。一歩一歩神の住む領域に入り込むような気になる。すぐに熊野鹿島神社に着いた。境内に「月山、羽黒山、湯殿山大神」と刻まれた石碑が置かれていた。あの出羽三山と関係あるのだろうか。社殿に掲げられた由緒沿革には明治6年村社となったと記されていたが、いつの頃創建されたのかは「昔」としか書かれていない。神社の裏に回るとしっかりとした道があった。この道を峯山のピークを探して歩く。近隣の人たちの墓地であろうか、小さな墓が数カ所見られる。途中枝払いをされ細く長くのびた杉、それにクヌギやコナラ、山桜など樹齢こそ若いがどの木もすらりと長くのびている。以前は地元の人が下草を刈ってよく管理していたためであろう。今は手入れもされていないようで、シュロやアオキ、カシなど常緑の木が増え、篠竹が繁茂していた。下には住宅の屋根も見え、集落からの小道が枝分かれしている。

 12時10分山頂付近。周囲はシュロや杉、アオキ、コナラなどの樹木の他に、落葉が堆積しピークが特定できず、三角点をさがしたが見あたらなかった。戻りはことさらゆっくりと歩いた。
 
 今回の峯山は登山口からピークまで約350m、標高差は20数メートルで、山歩きというのも気恥ずかしいような散歩道であった。
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