茨城のヤブ山歩き (No.12)  要害山 (185.6m)  

2万5千分の1地形図「山方」 久慈郡水府村 平成15年7月27日

 南北に長い水府村の南部に位置し、山田川近くにある要害山に登る。地形図を見ると水府村国安から山田川の右岸(上流から見て)に、三角点のある要害山があり、山頂の少し下の尾根まで道が確認できる。

常陸太田から県道78号常陸太田大子線に入り、すぐに左折してたんぼの中の道を走り、山田川の土手に車を止める。川には小さな堰堤が設けられ大きな水音をたてている。10時50分歩き始める。両側に畑を見ながら民家脇から竹藪前を通り過ぎると山道らしくなるが、十分車は通れる道幅がある。山桑の赤い実を食べながら歩く。道はすぐ舗装道路となる。山の斜面を切り開き柿の木畑が見られる。いつ何のため作られたのか、車の通った痕跡のほとんど感じられない舗装道路にはツタ植物が這っている。11時10分舗装道路が終わり、手入れのされていないヒノキの植林に入る。この道にも車の轍が見られる。すぐに道は二手に分かれ、ここで轍は終わり道は細くなる。二手の道は見当を付けて左手に進む。ニイニイゼミが鳴いている。国安要害村有林と書かれた木がたてられている。道はマツ、ヤマザクラ、カシやコナラなどの混交林から、すぐにシノヤブを通り抜けやや広い平坦な場所に出た。そこは樹木が伐採され、伸びていた草が刈られている。入口に立て看板が立てられ、山入城跡と書かれている。そこには1300年代の延元年間に城は築かれたと書かれていた。そこから少し先に一段と小高い場所がある。そこが四等三角点の設置された山頂のようだ。11時20分山頂着。山頂には4つの石鉾が置かれ、その廻りは頑丈すぎるほどの鉄柵で囲まれていた。      要害山の地図を見る

山入城跡の由緒沿革が書かれている立て看板

石祠の置かれた要害山山頂左に四等三角点が見える

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